「自分を持って生きろ」が人生を厄介にするワケ それでは「両手」がふさがってしまう
「自分を持てない人」が多くいる理由
よく「自分を持っている人」というような表現を耳にする。周りに流されないとか、揺るがない信念を持っている、というような意味で使われているようだ。おそらく、この場合の「自分」とは「自分らしさ」のことで、それを心にしっかりと所有している、という意味なのだろうと思う。
しかし、「自分を持っている」と言われると、私はどうも「手に持っている」ようなイメージをしてしまう。誰も見たことのない、自分でもよくわからない、謎の「自分らしさ」という塊は、きっと重たくて厄介な荷物だろう。それを手に持っている。
手に持つならカチカチに硬ければまだマシだが、ほとんどの自分らしさはまだフニャフニャで、ともすればぐちゃぐちゃでドロドロしていて、決まった形を保つのが難しく、素手ではとてもじゃないが持ちにくい。そんなものではないだろうか。だからこそ「自分を持てない人」が多くいるのではないかと思うのだ。
だからと言って、カチカチに固まった自分らしさというのもあまり魅力を感じない。いくら持ちやすくても、それだと逆に大きな衝撃で壊れやすいような気がするし、時代の大きな変化に耐えられない、頭が堅そうなイメージがする。
ぐちゃぐちゃでドロドロのほうが、人間味があって面白いと私は思うのだけれど、やはりそれでは前述のように持ちにくくて仕方がない。なので、賢い人は手提げカバンに入れる感じで持っているように思う。いや、あくまで私の空想、イメージの話であるが。
でも、いくらカバンに入れようが、「手に持っている」ことに変わりはない。カバンで片手が塞がっているから、何かにつまずいて転んだら手をつくのが遅れて怪我をしそうだし、何か「手に入れたいもの」や「持って帰りたいもの」を見つけたとき、片手で持てるような小さなものしか持てなくて不便だ。
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