「自分を持って生きろ」が人生を厄介にするワケ それでは「両手」がふさがってしまう

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ときどき、何かを手に入れようとして、「自分を失くしてしまう」みたいな人がいる。その人はきっと、手に持っていた自分らしさを地面に置いて、代わりに何かを両手で持って帰ったのだと思う。

自分らしさは、後で取りに戻ればいいと思ったのかもしれない。しかし、戻ってみるとそこには、無残にも皆から踏みつけられて変わり果てた自分らしさが転がっていて、もう元には戻らない……。

自分を「持つ」よりも「背負う」生き方

だから私は「自分を持っている人」ではなく、「自分を背負っている人」というのが格好いいのではないかと思う。手提げカバンではなく、リュックに入れているイメージである。そうすれば両手が空いていて、いざというときは大きなものも持てるし、そもそも「自分を背負う」という語感に、自身の運命を受け止めたような、覚悟みたいなものを感じる。

きっと、どんなカバンに入れようが、ぐちゃぐちゃでドロドロの「自分らしさ」は縫い目や生地を染み出してこぼれ落ち、少しずつ減っていく。だから、いつも自分で新しい「自分らしさ」を注ぎ足していかなければならない。

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染み出した「自分らしさ」は、その人が歩いた後に点々と染みを作るだろう。その染みをたどって、誰かが追いかけてくるかもしれない。夢や目標に向かって自分自身が切り開いた道を旅していたつもりが、いつか染みをたどって後をつけてきた誰かに追い越される日が来るかもしれない。

そのときは、空いている手で戦わなければならない。相手が片手なら、きっと勝てるはずだ。大勢で来るなら、こちらも仲間を集めなければならない。空いている手を結び、戦うのだ。

と、まあ、これはすべて例え話で、ただのイメージの話である。でも、あながちおかしな例えでもないような気がする。

「自分を持って生きる」よりも「自分を背負って生きる」ほうが、激動の世の中をたくましく生き抜けそうな気がするのである。

いしわたり 淳治 作詞家・音楽プロデューサー・作家

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いしわたり じゅんじ / Junji Ishiwatari

1977年生まれ。青森県出身。1997年にロックバンドSUPERCARのメンバーとしてデビューし、オリジナルアルバム7枚、シングル15枚を発表。そのすべての作詞を担当する。2005年のバンド解散後は、作詞家として、音楽プロデューサーとして、数多くのアーティストを手掛ける。現在までに600曲以上の楽曲制作に携わり、数々の映画、ドラマ、アニメの主題歌も制作している。音楽活動のかたわら、映画・音楽雑誌等での執筆活動も行っている。ソニー・ミュージックエンタテインメントRED所属。

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