アリの巣でキリギリスは跳べない
組織というものは、こうして「わかりやすいほうに」流れていく。そして、この流れは基本的に不可逆的で、簡単には後戻りできない。「跳び道具」を封印された状態ではキリギリスは十分な力を発揮できなくなって、あとは死んで行くしかない。したがって、ひとつの組織の中では不可逆的にアリの比率が高くなっていくのである。
破壊的イノベーションを起こすためのきっかけとなる、新たな問題の発見の役割を担えるのはキリギリスだけだ。しかし、アリとキリギリスが「同居」した状態では、キリギリスが新しい問題を発見してそれを問題として再定義し、具体化していくことは非常に困難であるという皮肉なことになる。
組織におけるアリの比率が高くなればなるほど、イノベーションの必要性は高まってくるのに、そうなればなるほどキリギリスの居場所はなくなって、「跳べなくなる」という根本的なジレンマがここに存在しているのである。
破壊的イノベーションを起こすのに必要なのは、このようなキリギリス型の人材に最高のパフォーマンスを発揮させることである。それはアリも理解しているのだが、実際にアリとキリギリスが「同居」すれば、意思決定の場面では必ず上記のような対立構造が生まれ、アリの論理が勝つ。キリギリスが力を発揮することは、構造的に無理があるのである。
そもそも「閉じた系」を前提とするアリと「開いた系」を前提とするキリギリスが、組織という「閉じた系」で同居すること自体が自己矛盾である。つねに「巣の論理」で動くアリに対して、巣にとってそれがよいかどうかよりもより「上位の目的」で考えて、巣の利害とは関係なく動くキリギリスの思考回路は、いつまでたっても平行線のままになるだろう。
併せて、「ストック型」で過去の知識と経験をすべての拠り所とするアリは、意思決定においても「前例と実績」を何よりも重視する。対してキリギリスは、蓄積した知識や経験を捨て去ることに何の抵抗もない。「役に立つものは徹底的に活用するが、陳腐化しているなら固執する必要はない」と、純粋に将来や理想や上位目的に忠実に、ドライな意思決定をするのである。
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