ギラン・バレー症候群になって初めてわかったこと
坂之上:なんだか阿部知事は、独特なこだわりがあるように思えます。弱者にちゃんと光を当てたいとお思いになったのは、どうしてなのでしょう?
阿部:長野県庁に来る前の年の2000年に、ギラン・バレー症候群っていう病気になった経験が大きいですかねぇ……。これがまた難病で。
坂之上:ごめんなさい、どんな病気なのかよく存じあげなくて。
阿部:免疫系の病気で、いちばんひどいときは、病院に入院してベッドに寝たきりでした。寝たきりどころか、自分の手も足も上げられなかったです。
坂之上:動けなくなったんですか? どのくらいの期間?
阿部:2カ月くらい入院したかな。最初ね、なんの病気なのか、なかなかわかんなかったんですよ。
とにかく具合が悪くて、急にお腹が痛くなって。救急車を呼ぶのが恥ずかしくてタクシーで病院に行きました。ところが総合病院に行って、すべての診療科を回っても何の病気かわからない。そしたらだんだんお手洗いに行くのも、壁伝いに歩かなきゃいけなくなって、立ち上がるのもつらくなってきて。
坂之上:それは怖いですね。
阿部:でも、病名はわからなかった。妻からは「仕事に行きたくなくなったのね」なんて言われました(笑)。
坂之上:(笑)。
阿部:そしたら、その頃、神経痛を患っていた義理の母が、「温泉とか鍼(ハリ)のほうがいいんじゃないの?」と言ってくれて。それもそうかなと思って、鍼灸院に行ったんですよ。
坂之上:鍼ですか。
阿部:鍼灸院では助手の女性がきて、15分ぐらいかけてすごく丁寧に話を聞いてくれました。で、しばらく待ってたら先生がA4の紙を1枚持ってきて、「今、話聞きましたけど、あなたの病気はこれです」って、紙を見せてくれたの。「ギラン・バレー症候群です」って。「これはすぐに病院に行ったほうがいいですよ」と言われて。で、もう1回病院に行ったら、すぐに、「それだ、その病気だ!」と言って即入院。
坂之上:そんな!!
阿部:ほんとね、診てもらった病院は都内でも有名な病院で、優れたドクターがいっぱいいるいい病院でした。それなのになんでそこでは病名がわからず、鍼の先生はたった15分で病名がわかったのか。
坂之上:どうしてでしょう?
阿部:鍼のお医者さんはね、私の「全体」を見てくれたからです。ところが、総合病院では頭は頭、胃袋は胃袋、肺は肺って、「パーツ」しか見てなかった。なにが言いたいというと、私の話を直接聞いてもらって、全体を見てもらえたらすぐわかってしまうのに、いくら大病院でも、パーツ、パーツを細切れで見ていては丸1日いてもわからない。
坂之上:確かに……。
阿部:これは、行政も同じじゃないですか。入院しながら、行政としては反省すべき点がいろいろあるなと思っていました。
坂之上:深い話ですね。
阿部:こういう経験を踏まえて、行政も、なんでも部署で区切って「これは私の担当ではありません」って、知らん顔しちゃうのをやめないといけないな、と思ったんです。「ながのパーソナル・サポートセンター」もそういう発想からきています。
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