毎年5000人が心を病む「教員」の過酷すぎる実態 疲労やストレスをためこんで心身が疲弊する
精神疾患を含め病休者の中には回復せず、やむなく退職する者も少なくない。最悪の場合には自死を選ぶ可能性もあるが、このようなケースでの退職者数は明確ではない。本人や家族が事実を公にし、訴訟を起こした場合に社会的関心を集めるだけである。
教員経験の短い発病者は、予想していた教員の仕事と現実とのギャップに悩むことが原因だろう。一方、経験を積んだ教員はこれとは異なる原因が推測される。
学校という場は各学校で職場環境が大きく異なる。比較的落ち着いた学校に赴任した直後、それ以前の疲労やストレスが一気に噴き出すことが、仕事熱心な教員に多く見られるのだ。
激務の末、命を落としていった教員
筆者の同僚だった40代の女性教員がいた。彼女は、生徒指導が大変な高校で中心的な存在だった。当時の彼女は自らの家庭を顧みずに長時間労働をし、男性教員顔負けの気迫で生徒に臨んでいた。7年後、彼女は中堅進学校に異動になる。
しかし、4月の初めに数回勤務した後に病休に入り、生徒の顔を見ることもなく数カ月後に亡くなった。がんが全身に転移し手遅れだったのである。体調不良に気づかない、気づいても後回しにしてしまう心境になっていたのだろう。
同じく、同僚だった男性教員は定年を機に発病した。真面目で教科指導も部活動指導も熱心だった彼は比較的落ち着いた学校での勤務が長かったが、50代になってから生徒指導が大変な学校に異動し進路指導主任となった。
進路指導は進学や就職の実績が毎年公表され生徒募集にも直結するシビアな校務分掌である。指導に従わない生徒たちを前に、長時間勤務し神経をすり減らす毎日が続いた。数年間の勤務の後、彼は定年を迎え、再任用として進学校で常勤講師を務めることになる。
4月の初め、勤務校でパソコンに向かっていた時、ふと、何も考えられず、何もできなくなったと生前の彼から聞いた。わずかに働いた理性が「これはうつ病だ」と判断し、即入院となった。自分の症状を判断できたのは、彼の周囲に同病の人がいたからである。数カ月の入院を経て、一旦は学校現場に戻ったが完全な回復はならずに数年後に亡くなった。
病気休職を取る教員がその後どうなるのか楽観視はできない。自らの状態に気づいて休職できる人だけでも毎年5000人も生んでいるのが教員という仕事である。
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