フォルクスワーゲンの「EV大転換」が危うい理由 ユーザー不在のクルマ作りが招く最悪の事態
僕はフォルクスワーゲンの大ファンだ。これまで3代の「ゴルフ」を乗り継いでいるし、さまざまなフォルクスワーゲンのモデルに乗ってきて、そのたび、最大級の賛辞を送り続けてきた。
そんな経緯を持っているからこそ、現在のフォルクスワーゲン車に対し、「それは本当に、君たちの作りたいクルマなのか」と、その是非を問いたい。
フォルクスワーゲンは、決してプレミアムブランドではない。それは社名からも明確で、「フォルクス=Volks」は国民、「ワーゲン=Wagen」はクルマを意味する言葉だ。国民のためにクルマを広く普及させるという理念のもとに設立されたメーカーなのである。
「ポルシェ」や「ロールスロイス」のように、最初から高性能車や高級車を作っていたメーカーとは違う、日本の自動車メーカーに近い存在だと言える。
「水」ではなく「ビール」を届ける
しかし、フォルクスワーゲンは日本メーカーとは明らかに異なる価値観を持っており、僕はこれまでその部分を高く評価してきた。
それは大衆車に対する考え方で、そのクルマに乗る「大衆」に「どういった生活をしてもらいたいのか」「どういうクルマに乗ってもらうべきか」という、理念の部分に崇高さを感じられたからだ。
もちろん、日本でもフォルクスワーゲン車のことを「大衆車」だと言う層も一定数いることは事実だが、一般的に使われる「大衆」とフォルクスワーゲンが考える「大衆」の意味は、大きく違うように感じられる。
僕は以前、フォルクスワーゲンの経営トップに「フォルクスワーゲンはプレミアムブランドではないにもかかわらず、なぜこれほどいいクルマを作るのか」と、インタビューをしたことがあった。
すると彼は、「喉が渇いた時には美味しいビールを飲みたいだろう? 美味しいビールにだって、生きるために必要な水分は含まれているんだよ」と答えた。
水さえ飲んでいれば、人は死なない。でも、それでは美味しくないし、面白くもない。フォルクスワーゲンは、一般大衆に対して生きるために必要な最低限の「水」ではなく、美味しい「ビール」を飲んでほしいという価値観を持って製品づくりを行っている。
「先進国に暮らす一般の人たちは、もっといいクルマに乗るべきだ」という信念を持っていて、「大衆ならこの程度でいいだろう」という見切りを付けていないのだ。その強い信念が、消費者であるわれわれにサプライズとして届くようなモノ作りをしてきた。
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