39歳コピーライターが「ゆるスポ」発案した経緯 子どもの障害発覚を機に仕事の在り方を改めた

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成澤さんとの話で惹きつけられたのは、障害者の中には目を合わせるのが苦手なシャイな人たちが多く、なかなか悩みを打ち明けられなかったりするのに成澤さんが相手だと「みんな安心する」。見えないことが彼らを安心させるらしい。

帽子の上にボールを載せる「ハットラグビー」という競技 (筆者撮影)

ハンディキャップがプラスに働くことがあるというのを知って成澤さんは、就労支援の仕事を「自分の天職」だと思うようになったそうだ。話を聞いた澤田さんは、自身の中にあった「障害者=かわいそうな人」という固定観念がゆるめられたという。そうして障害のある人たちと関わっていくうちに、こんなふうに考えが変わっていった。

《息子もしかりで、「目が見えないのはかわいそう」と思われるのは、視覚に頼りすぎた社会になっているからです。社会が変われば、息子は周囲からの一方的な「かわいそう」からの脱却をはかれるのではないか。》

社会のほうが「見えない」側に近寄ることで、視覚障害者にとっても生きやすい社会をつくることができるのではないか? そう考えた澤田さんは、それまで思いもしなかった逆転の発想をするようになっていく――。

息子の障害発覚を機に仕事を見直す

そもそも澤田さんはコピーライターだけに「変わったアイデア」の実績の持ち主。たとえば8年前の天丼のてんやの新商品のPR企画は世間でも注目する事例となっている。

それは「エビメタ」なるヘビメタバンドを誕生させ、原宿のてんや店舗で開店前の早朝ライブを行いライブ発信する取り組み。メジャーデビューも果たしたという。

記憶に新しいところでは、タレントのローラさんが「わかんない」と答えるDMM証券のCMもじつは澤田さんの企画。本来の性格なのか「ゆるさ」を大事にする発想の持ち主であったことがわかる。

「本にも書いたんですが、もともとああいうギャグを盛り込んだものをつくるのが好きだったんですが、息子の障害が発覚してからはまったくギャグが浮かばなくなってしまった。以前は1時間くらいのうちに10個は浮かんだのに。それで上司に相談して、仕事を減らすところから始め、すこしずつ仕事の仕方を変えゆるスポーツにたどりついた」(澤田さん)

2015年4月に「世界ゆるスポーツ協会」を立ち上げると翌週にはメディアに取り上げられ、3カ月後にはスポンサーもついた。「少なく見積もっても10万人以上」が体験するまでになっている。そんな澤田さんの発想の原点と、「ゆるスポ」に至るまでの経緯はなんなのか。一問一答で聞いていった。

──澤田さんはお子さんに障害があるとわかったときに困惑されて、「人の助けを求めるしかない」と気持ちを切り替え、仕事の仕方を変えられるんですね。

そうですね。自分の無力さを痛感しましたし、なおかつ息子が暮らしやすい社会にどう近づけるかというのが僕の活動の根幹になっていきました。ゆるスポーツは障害者が活躍できるスポーツで、体験することで障害者に対する見方もがらりと変わる。「心にバリアフリーを」という標語を10年見せられるよりも、3分試合したら「あいつ強いなあ。障害があるのに勝てないよ」って対等な関係ができていく。福祉や多様性への理解度も上がる。

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