国道16号線が「翔んで埼玉」の世界観にハマる訳 私たちを思い込ませた「容疑者」は一体誰だ

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原作者の摩耶によれば、執筆のきっかけは、新潟から上京してきた際に漫画雑誌の編集長らの甘言に騙され、編集長の自宅がある所沢に居を構えさせられたことだったという。4年間の所沢生活で「恐ろしい所沢、ひいては埼玉県全体をおちょくったら面白い作品ができるのではないかと思いついたのです」(『翔んで埼玉』宝島社刊 本人あとがきより)と、魔夜は振り返る。

興味深いのは、40年近く前の1980年代前半の漫画に描かれた埼玉や千葉のイメージが、2020年になっても古びることなく通用するということだ。言い換えれば、埼玉や千葉や両県を通る16号線沿いのイメージは、当時も今も「東京に比べて田舎でダサい」ということになる。

歴史を遡ると、現在16号線が通る埼玉や千葉は、東京都心よりも賑わっていた時代が長かった。旧石器時代から人が暮らし、縄文時代の千葉は日本で一番貝塚が集積し、古墳時代を眺めれば、埼玉には関東有数の巨大な古墳群があった。また、源頼朝の鎌倉幕府(鎌倉も16号線エリアである)誕生の背景には、千葉や埼玉の関東武士団の台頭がある。

歴史的に見れば、むしろ埼玉や千葉が東京の中心より「都会」だった時期のほうが長いのだ。にもかかわらず、現在、私たちは、東京が都会で埼玉や千葉は郊外でちょっと田舎だと思っている。なぜだろうか?

私たちを思い込ませた容疑者は2人

私たちにそう思い込ませた、誰もが知る有名な「容疑者」を2人突き止めた。

拙著『国道16号線 「日本」を創った道』でも詳しく解説しているが、1人は徳川家康、もう1人は高校の日本史教科書である。

家康の「容疑」は、「江戸を作ったのは家康」「家康以前に江戸はなかった」という偽史を現代の私たちに植え付けたことだ。江戸時代以降現在に至るまで多くの日本人がこの偽史を信じ続けている。

『国道16号線 「日本」を創った道』(新潮社)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

高校の日本史教科書の「容疑」は、江戸時代以前の関東の歴史を(鎌倉幕府の時代を除くと)ほとんど記述しないことで、江戸以前の関東の歴史に関する大半の日本人の知識をゼロにしてしまったことだ。みなさんも覚えがあるだろう。高校の教科書で関東が出てくるのは、鎌倉時代を除くと、江戸時代になってからである。しかも、あくまで「江戸=東京」の描写が中心だ。千葉や埼玉のエリアの話はほとんど出てこない。

結果、私たちは、関東がにぎわうようになったのは徳川家康が江戸城入りしてからで、江戸を中心に首都圏が発達したような気がしている。当然、16号線が通っている埼玉や千葉は、江戸=東京の中心から見れば、戦後拡張した郊外であり、田舎となってしまう。かくして、『翔んで埼玉』の「埼玉田舎史観」は盤石のギャグとなるのであった。

柳瀬 博一 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授

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やなせ ひろいち / Hiroichi Yanase

1964年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)入社、「日経ビジネス」記者を経て単行本編集に従事。『小倉昌男 経営学』『日本美術応援団』『社長失格』『アー・ユー・ハッピー?』『流行人類学クロニクル』『養老孟司のデジタル昆虫図鑑』などを担当。「日経ビジネス オンライン」立ち上げに参画、広告プロデューサーを務める。TBSラジオ、ラジオNIKKEIでラジオパーソナリティとしても活動。2018年3月日経BP社退社後、現職。共著書に『インターネットが普及したら僕たちが原始人に戻っちゃったわけ』『混ぜる教育』など。

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