「自分を不登校にした人」に遭遇した私の本音 「小6時代の事件」から15年たって思うこと
不登校になった原因よりも、これからの生活への不安のほうが大きくて「もう2度と会うつもりのない、彼女のことを考えている時間がもったいない」と心のどこかで思っていたのだと思います。
彼女のことを思い出さない日々が続き、年齢を重ねるごとに彼女の存在は私のなかでどんどん小さくなっていきました。
消せない存在
いや、小さくなっていっているのだと、15年ぶりに彼女に会うまで、私は思っていました。
しかし、実際はたまたま駅ですれちがっただけで、彼女との思い出がよみがえるくらい、私は彼女を覚えていました。
「今も、彼女は私のなかで消えていないんだ」と自覚した瞬間、やるせなさが込み上げました。
すれちがうまでずっと目が合っていたので、もしかしたら彼女も私に気づいていたのかもしれません。
「彼女は私に対して何を思っただろう。あれから彼女はどうやって生きてきたのだろう。私を傷つけたことを自覚しているのだろうか」と彼女とすれちがったあとも、いろんな感情が心に渦巻いて、なんとも言えない気持ちになりました。
15年という時間がたっても、彼女に対して何かを思う自分にとまどいながら、私は駅をあとにしました。
思わぬ再会を果たした日から「また会うかも」と数日、彼女の存在を意識していたのですが、そのなかで私にはすこし変化がありました。
彼女を忘れていない自分に情けなさを感じていた私ですが、日が経つにつれて「そりゃ、忘れられないよね」と思うようになったのです。
彼女の言動で私が傷ついたことや、そのせいで学校へ行けなくなったことは変わらない事実です。
「彼女にされたことに私はずっと苦しんで、がんばってきた。だから、忘れられなくてあたりまえなんじゃないか。忘れることなんてできないし、忘れる必要もない」と、自分に対して思えるようになったのです。
私と同じように、同級生の存在を忘れられず苦しんでいる人はたくさんいると思います。
私自身もまだ、いじめてきた同級生の存在を忘れていませんし、片づけられない思いもたくさんあります。
だからこそ、同じ思いを抱えた人に「忘れられないのは、あなただけじゃないよ」と、この記事を通して伝えたいなと思います。
(富良野しおんさん・27歳)
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