アラスカのクルマ旅で見つけた「衝撃のホテル」 広大な自然の中にそれはあった
1964年の世界1周を皮切りに、世界中を旅してきた。その多くはクルマの旅だ。
数千キロの旅はとくに珍しくないし、数万キロというタフな旅もした。いったいどのくらいの距離を走ったのだろう。今になって、記録しておけばよかったなぁと思っているが、、後の祭り。
まあ、数十万キロは走っているだろう。そんな中で、特別な記憶として残っている旅がいくつかある。
ロンドン〜シドニー、ロサンゼルス〜ニューヨーク往復、ロサンゼルス〜中西部〜南部〜ロサンゼルス、バルセロナ〜ベルゲン(ノルウェー)、オーストラリア横断と縦横断、、そして、今回書く、アラスカ・ハイウェイの旅、、といった辺りだ。
未舗装で険しい地形が多かった
アラスカ・ハイウェイは、カナダを経由してアラスカ州とアメリカ本土を結ぶ道路。元々は、太平洋戦争を機に、アメリカ軍の補給路として建設されたらしい。アラスカ州のデルタジャンクションを北端とし、カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州のドーソンクリークを南端とする、おおよそ2200キロのハイウェイ。
ハイウェイというと、淡々と続く快適な舗装路をイメージするかもしれない。が、40年ほど前に走ったアラスカ・ハイウェイは、「未舗装で険しい地形」が多かったと記憶している。実際に走ったのは、アラスカ州フェアバンクスからLAまで。5000キロを超える旅だった。
旅を共にしたのは、当時、週刊プレイボーイの編集者であったと同時に、家族ぐるみのお付き合いをしていた友人でもあったH氏。時は1979年の秋かと。旅の足は2代目シビック(通称スーパーシビック)だ。
ホンダと週刊プレイボーイの共同企画だったため、クルマの手配等々、面倒なことは「一切お任せ」だったのは楽だった。具体的なコース等、事前に決めていたことはほとんどなかった。決まっていたのは、「アラスカ・ハイウェイを走る」ことだけだったように記憶している。