親の甘さが子の成長を妨げる
ところで私には、昔からひとつの信念のようなものがありました。子供が社会人になった時点で、私は絶対に、金銭的には手を貸さないということです。子供が自分自身を食わせられない状況にあろうとも、たとえ少額でも親が用立てることは、その子の一生を親がダメにする行為の始まりだと考えていました。
このような信念を持つに至るモデルに、事欠かなかったからです。「参考書代」と親をだまして遊興費を捻出し続けた子は、結局、50代になっても親のおカネを狙っていますし、参考書代をケチって大学受験を失敗したと言われたくなかった母親は、いまだにその悪の連鎖から逃れられていません。
私はこの母親に同情はしていません。成績も上がらず、何度も受験に失敗している子に、なぜそんなに参考書が必要なのか、買った参考書はどれか、何もチェックしなかったことが、その息子をますます悪くしていったのですから。
このような例には事欠きません。どれも親側にも問題ありでした。社会人には、ある日突然になるわけではありません。そして今の日本では幸運なことに、職業さえ選り好みしなければ、自分自身を食わせる稼ぎは、よほどでないかぎり得られます。
まず自分自身を食べさせ、夢を追うにしても、その夢を追う費用も自分で稼ぐべきだと考えます。「夢を追うために今は無職」さえも、私は賛成できません。大人には突然なるわけではありませんから、“大人になれば自分の食いぶちは自分で稼ぐ”――この当たり前のことに、親がいかなる理由をつけてでも負の加担をするべきではないと、経験から確信しているのです。
自分自身を食わせて初めて一人前
私が幼かった昔、今では信じられないことですが、既婚女性が働くのは夫に甲斐性がない証拠という価値観が、まだまだ庶民の間にあった時代の話です。ある有名作家が「専業主婦は人として半分の能力しか使っていない。家事ができて、自分自身を食わせる程度の収入を得る経済活動ができて、初めて一人前で、それは男性も同じこと」と何かに書き、半世紀以上も前でしたので、私は、この言葉をとても新鮮に受け止めました。
まして勉強もしない20歳前後の若者が、今、働かずしていつ働くのです? 村山様、今の息子さんは(先の小説家にいわせれば)半人前でさえもありません。
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