「母の看病」しながら東大合格した19歳の勉強法 削れるムダはとことん削る「超効率化」の執念
「調べればわかるのに考え込んでいる時間」は間違いなくムダです。
その問題を解決するために、自分が何をすればいいのか。それを自覚していないままに問題の解決に乗り出しているからこうなるのです。
考えるというのは「万能のツール」ではありません。答えまでの道筋を大まかにでも引いた後で役に立つものです。ムダが多い人には、このような「目標を達成するための思考」が身についていないように思えます。
僕は昔から自分の頭で考えようとする癖がありました。しかし時間の節約を意識するようになってからは、逆に「考える時間をなくそう」と意図的に思考時間をカットするようになりました。
その結果、非常に多くの時間を節約することができたので、この選択は正解であったと考えています。
考えることには一定の価値がありますが、だからといってずっと自力で考えようとするのもまた、「考えもの」です。
ある物事に使える時間には限りがあるからこそ、その限られた時間の中で一定以上の成果を出した人が成功するのです。
「できること」と「できないこと」を切り分ける
3つ目は「挑戦しない」勉強法です。
これは、「自分の苦手な分野に挑戦していかない」という意味です。
すでにできることを過剰に確かめることは、まったくの時間のムダです。自分にできないこと、苦手なことに挑戦することにこそ価値があるのです。
「失敗は成功の母」というように、人は失敗や苦手な分野を克服してこそ成長することができます。特に勉強などは典型的なトライ&エラーで成長できる物事です。
だからこそ、実は0点のテストには非常に価値があります。なぜならば、そのテストによって明らかになった自分の問題点を改善すれば、とてつもない成長が見込めるからです。「できなかったこと」を表してくれる0点のテストは、そのまま伸びしろを表します。
逆に言えば、100点のテストにはさほど価値がありません。そこに書いてあることが一通り理解できていることの確認にはなりますが、伸びしろがないことを表してもいるからです。自分の努力や実力を確認するための指標としては扱えますが、2回目以降の100点は「その場に留まると成長の機会が失われる」ことを示します。
だからこそ、勉強するときには「自分が何をわかっていて、何をわからないのか」に敏感である必要があります。十分に理解していることをいくら復習しても、時間のムダにしかなりません。
しかしながら、勉強している人の多くは、自分がいったい何をしているのかについて自覚的でない場合が多いように見受けられます。自分の得意なことばかりを行って、苦手なことに取り組まない場合さえもあります。例えば、学生時代などについつい得意な教科ばかり勉強して、苦手科目を後回しにした経験はありませんか?
自尊心を満たしたいのならよいのですが、成長したいのであれば、これは最低の方法であると言わざるをえません。
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