日本のグローバル人材ブームの薄っぺらさ
本シリーズの冒頭で、僕は昨今の「グローバル人材」ブームの軽薄さを指摘し、キャリア形成において本当に意味のあるものとは何なのか、という問いを投げかけた。
そして、僕がボストンで出会った、世間からは「グローバル人材」と思われている5人の友人たちのストーリーを通して、読者の皆様にこの問いについて考えてもらおうという、逆説的アプローチを試みた。5つのストーリーを語り終えた今、最初の疑問に対する僕なりの答えを書こうと思う。
最近、うっとうしいほど頻繁に、ハーバード流の何とかだとか、グローバルエリートがどうこうだとかいう話が日本語のネット記事で持ち上げられる。外資系金融やコンサルの慣行が金科玉条であるかのように語られる。日本の大学は「グローバル」を冠する不思議な名前のプログラムを乱立させ、企業はあたかも王族を招くかのようにグローバル人材を求める。
しかし僕からみれば、ハーバードだ外資系だと騒ぐ現在の日本の価値観は、一昔前の、猫もしゃくしも東大だ官僚だと言っていた頃の一次元的な価値観を、ほんの少し延長しただけでしかない。「グローバル」を熱心に布教する者こそが、実は最も旧来の日本的な価値観にとらわれているとは、何とも皮肉な話ではないか。
「成功のレシピ」などこの世に存在しない
結局、人は「成功へのレシピ」が欲しいのだろうと思う。そりゃあ誰だって出世したい。お金持ちになりたい。失敗なんてしたくない。昔、塾が受験の必勝法を教えてくれたように、人生の必勝法を教えてもらいたいのだろう。
昔は、東大へ行くことが人生の必勝法であるかのように思えた時代があった。でもだんだん、そうではないことがみんなにわかってきた。困った日本人は次の必勝法を探した。そして「グローバル」に飛びついた。
だが、考えてみてほしい。日本の大学を出たからといって日本で出世できるわけではないのと同様に、アメリカの大学を出たからと言ってアメリカで出世できるわけではない。日本語がしゃべれるからといって日本で活躍できるわけではないのと同様に、英語がしゃべれるからといって世界で活躍できるわけでは決してない。
そろそろ、僕たちは潔く認めるべきなのだ。「成功のレシピ」などこの世に存在しないことを。人生という問題は詰め将棋のようには解けないことを。ビジネス書や自己啓発書を何百冊読んだって、あなたはスティーブ・ジョブズにはなれないことを。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら