しきたりに頼らずに、生前に自ら意思表示を 『葬式は、要らない』を書いた島田裕巳氏に聞く
お墓には子どもに来てほしいし、子どもも行きたいと思う。今住んでいるところの近くに墓があったほうがいいということになる。
--「お墓参り教」とは。
結局、最後はお墓をどうするかだろう。年老いてくると、親戚が集まるのは墓参りしかない。報告したりするのも墓参りのときだし、墓参りをすると、いいことをした感じになる。その感覚は墓がなかったら得られない。
逆に先祖供養の究極的な形が「お墓参り教」ではないかと思う。
海とか山に散骨をしてもいいが、そうすると散骨した場所に墓参りに行きたくなるのが人情、どうしてもそういうところがある。
墓参りは、教義的には生者が死んだ人に代わって善を積むという「積善」となり、成仏しやすくするというのが理論的な考え方。何か先祖に対して罪ほろぼしした、あるいはいいことをしなければいけないという意識にかなう。
そういう日本人の気持ちを考えると、「お墓参り教」はそう簡単にこの日本から消滅することはない。
--ご自身で親族に戒名を付けるそうですね。
母方の実家は毎回宗派が違って、いい加減に戒名が付けられる。それで、今は私が付けることにしている。院号を付けるが、そうしないと、いい表現ができないから。その人は現世でどういう人であったか、戒名に盛り込む。