「イッツクール」の後押しがきっかけ
伊佐山:杉江さんは、日産自動車のエンジニアをされていて、中国で日本語学校の先生という非常にコンサバティブなキャリアを歩んで来ました。そんな人がベンチャーをやるというのは僕からするとイメージつかないのですが、なぜ今、シリコンバレーに住んでいるのでしょうか。
杉江:僕はシンプルな答えで、電動車いすのユーザーが多いからです。僕らは2011年の東京モーターショーで、ファーストプロトタイプを発表しました。反響は、米国から強くあり、数多くのコンタクトがありました。そこから理由を調べたのですが、米国の電動車いす市場は日本市場の15倍あったのです。日本の2万台規模に対して、米国では30万台でした。
とはいえ、実際に米国を訪れてみないとわからないと思い、社員全員で3カ月間住み込みました。電動車いすを分解してハンドキャリーで持って。そこでもらったフィードバックが大きかったですね。特に、ジョナサンというひとりの人間からの意見は象徴的でした。
最初、ジョナサンは、僕らの電動車いすに対して、「こんなのダメだ」と否定的な意見でした。ただ、実際に電動車いすに乗って、公園を走ってもらったところ、公園内にいるさまざまな人から話しかけられたのです。最終的にジョナサンが僕らに語った言葉は「ジーザス」(笑)。
なぜ、「ジーザス」か――。それは、これまでは「メイアイヘルプユー」としか声をかけられなかったのが、初めて「イッツクール」と言われたから。新しい体験ができたと。その言葉を聞いてから「これはいける」と思い、シリコンバレーに来ようと決めました。
シリコンバレーにユーザーが多いというのは、2つの意味があると思います。ひとつは「新しいもの好き」なアーリーアダプターが多いということ。もうひとつは、インタビューがしやすいということです。シリコンバレーは、アーリーアダプターが多くいるという文化があるので、インタビューもどんどん受けてくれ、すごいサイクルでブラッシュアップができるというのも決め手でした。
伊佐山:芳川さんも米レッドハット社、三井物産と「いい環境」で仕事をしてきたにもかかわらず、シリコンバレーでトレジャーデータを起業しました。なぜでしょうか。
芳川:そもそもシリコンバレーに来た理由は、僕のキャリアがきっかけです。三井物産のプライベートエクイティ事業・三井ベンチャーズに在籍し、シリコンバレーに駐在になりました。そこでオープンソフトウエア企業への投資・経営に携わった経験を生かし、起業したのですが、生活基盤がシリコンバレーにあったので、自然な流れではありました。
伊佐山:とはいえ、日本企業の海外駐在員の方々が皆、起業していたら、大混乱じゃないですか(笑)。駐在員として、いわゆる「いい生活」もされていたと思うのですが、その生活を捨ててまで、なぜ、起業したのですか。
芳川:三井ベンチャーズ在籍時、僕は企業向けのエンタープライズのソフトウエアのインダストリーへの投資が専門でした。そこでスタートアップの経営者の仲間たちができたのですが、彼らとお互いに考えていることをぶつけ合うと、あることに気づいたのです。それは「彼らも特別な人間ではない」ということ。もちろんスタートアップの経営者から教わることも多かったですが、彼らも間違ったことを口にするし、反対に僕からもバリューを出していける。
現在、トレジャーデータで展開しているビッグデータという領域は、起業した2011年時点から盛り上がっており、私の専門分野において、人生1回しかないチャンスなんじゃないかーーと強く思ったことがきっかけでした。
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