「小5から保健室登校」の少女が学校で学んだ事 同じ不登校仲間の親友を12歳のときに亡くした
養護教諭とお母さんが話している会話を耳をそばだてて聞いていると、みーこちゃんのお父さんが「世間体が悪いから誰も家に近づけるな、学校にも行かせるな」と言って聞かない。学校へ行かせようとすると家で暴れ出してしまってどうにも手が付けられない、と話していました。
狭い田舎町ですから、精神病院も1カ所しかなく、そこへ出入りしているところを見られれば、「頭のおかしい人」と烙印を押されるようような時代です。みーこちゃんはほぼ家に隔離状態で病院と家の往復と、病院から処方された大量の向精神薬などの治療薬ですっかり精気を失ってしまっていたようだと話していました。
みーこちゃんは結局、小学校の卒業式も学校へ来ることはありませんでした。
12歳の命が教えてくれたこと
千秋さんはその後も何度も手紙を出して、数回だけですが、みーこちゃんのお母さんにお願いして学校を休んでみーこちゃんに会いに行っていたと言います。
そして、千秋さんが中学に入学する春、みーこちゃんのお母さんから「みーこが亡くなった」と電話で聞かされました。みーこちゃんは沢山の向精神薬などの治療薬を飲んでいましたから、その副作用で嚥下障害を起こし、食事をのどに詰まらせて帰らぬ人になってしまったのです。まだ12歳の命でした。
千秋さんはまだ10代という若さで唯一の心の親友を亡くしてしまったのです。この頃には筆者は連日千秋さんから電話をもらって何時間も話をしていたのを今でも覚えています。
現在千秋さんは、過去にいじめられたこと、大人に裏切られたこと、それでも寄り添ってくれる仲間が必ずいるということ、いろいろな心の病気があるということ、世の中にはさまざまな家族関係があるんだということなどみーこちゃんを通して学んだ経験を活かし、心理学部を卒業し、今では心理士として立派に活動しています。
「まりお姉ちゃん、今でもみーこちゃんが夢に出てくるんだ。あのときなんで私、死ぬ死ぬ言うなってキレちゃったんだろう。あんなこと言ったせいでみーこちゃんが言いたいこと我慢して症状が悪くなったんじゃないかって考えてしまって今でも時々寝れずにいるの。無理やり家に押しかけてかえってみーこちゃんの立場を悪くしてなかったか、考えても仕方がないことをやっぱり時々今でも考えてしまうんだ……」
みーこちゃんは生前幸福感をもって生きていたとは言えないかもしれませんが、千秋さんからのお手紙は全部大切にとってあり、みーこちゃんの告別式のときにはお母さんからきれいにまとめられたお手紙を手渡されたと言います。みーこちゃんにとっても千秋さんは特別な存在だったのです。
何十年経ってもこうして心に寄り添える人が親友だったみーこちゃんは今頃天国で「自分は幸せだったんだ」と思ってくれていると願うばかりです。
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