「全員が内田篤人になれない」引退J選手の現実 アスリートの「働き方改革」は加速していくか

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現在、セレッソ大阪の社長を務める1998年フランス・2002年日韓W杯日本代表の森島寛晃さん(48)も「2008年にピッチを離れたあとはパソコンも使えなかった。頭のメモリーカードが小さくてホント苦労しました。今はようやくパワーポイントを使って書類作成もできるようになりましたね」と苦笑する。

「プレーヤーはピッチでプレーするのが本分。わずらわしいことはクラブやマネジメント会社の人にやってもらえばいい」と考える選手はまだまだ多いのだ。

最低限のビジネススキルを持たない30歳前後の人間が一般企業に就職しようと思えば、苦労を強いられるのは自明の理。川島永嗣(ストラスブール)や今野泰幸(ジュビロ磐田)らとともに2003年U−20W杯(UAE)に参戦し、2011年末に引退した阿部祐大朗さん(35)もそんな紆余曲折を経験した1人だ。

「好きだったファッション雑誌の会社に『雇ってください』と自ら飛び込みでアピールしたのが第一歩でした。でも一般企業は書類審査、筆記試験、面接と採用過程に何段階もあることを知らずにビックリした(笑)。

ここは受かりませんでしたけど、採用サイトや知り合いの人材会社社長から紹介を受けて、短期間で広告代理店やIT企業の営業、塾講師など8社を立て続けに受験。なんとかブライダル事業の会社に内定をもらいました」

27歳だった2012年から社会人生活がスタートしたが、電話対応や名刺交換がスムーズにできず、高価な花瓶を割ったり、発注ミスを犯すなど最初の1年間は苦労の連続だった。それでも「家族を路頭に迷わせるわけにはいかない」と奮起。2015年には大手金融会社に転職を果たし、今では立派なサラリーマンとして八面六臂の活躍を見せている。

「現役のころはサッカーに集中していればいいと思って、第2の人生の準備を何ひとつしていませんでした。時間の使い方を考えないとダメですね」と彼は自戒の念を込めて若かりし日々を振り返っていた。

キャリア支援に動き始めた元選手たち

こうした反省を踏まえ、Jリーガーには現役時代からセカンドキャリアに備えてほしいところ。だが、それは傍目から見るほど容易ではない。

「ソルティーロ・サッカー・スクール」の展開や東京、カンボジア、ウガンダなどのクラブ経営、中高生向けのオンライン学校「Now Do(ナウ・ドゥ)」など多角的事業に乗り出す本田圭佑(34、ボタフォゴ)、運動・食事・精神・IT事業を手掛ける「Cuore(クオーレ)」を設立した長友佑都(34、マルセイユ)など、現役選手がデュアルキャリアに乗り出す例も増えている。

ただ、そこまで手広くできるのは、知名度・資金・ブレーンを持つ一部のビッグネームだけ。一般的な選手が現役生活を送りながら、空いた時間に頭を切り替え、時間を管理しつつ、資格取得やITスキルの勉強などをするのは、やはりハードルが高いのだ。

APOLLO PROJECTを立ち上げた山内貴雄さん(右から3人目、写真:筆者撮影)

こうした彼らを支援するため、Jリーグは2002年にキャリアサポートセンターを設立。引退後の支援に乗り出している。

そこで2005〜2008年にかけて働いたのが、2003年にセレッソ大阪で引退し、現在は一般社団法人APOLLO PROJECT(アポロ・プロジェクト)代表理事を務める山内貴雄さん(42)だ。

2年間のJリーガー生活のあと、1年間だけヴィッセル神戸でスカウトを務め、2004年にリクルートキャリアへ転職。そこから出向する形で選手のサポートに努めた。

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