技術進歩の最善の努力は悲惨な結果を起こしうる--『新版 日本経済の事件簿』を書いた武田晴人氏(東京大学大学院経済学研究科教授)に聞く

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小


--次いで昭和恐慌(29~30年)。

これは逃せない。昭和恐慌は確かにたいへんな恐慌だったが、日本は割と回復が早い。その大きな要因は金融的な仕組みが安定していたから。世界的な大恐慌のショックは大きいが、金融的なパニックはほとんど起こらない。なぜか。2年前の27年に金融恐慌が起こっていて、問題になりそうなところはだいたいマーケットから退出し、金融市場がかなり正常化していたからだ。

--2・26事件にも1章を割いています。

戦争経済への最後の転換点だ。財政政策が景気回復にどの程度有効であったか、その成功不成功を決めるのは、政治的な決断だということを高橋財政はよく示している。あるタイミングで軍部が政治的意向を押し通してしまえば、経済もいずれは壊れるし、国の形もいずれは壊れる。それを止められるのは政治だけだ。

逆に言えば、戦後のドッジ・ラインでは当時としては客観的な必要性は少ないと思えるような改革が、GHQという権力の存在をバックボーンにして一気に敢行された。それが成功したか失敗したかは朝鮮戦争に突入したためわからないが、財政転換自体は時代の画期だった。

--デフレ時代をすべて取り上げています。

ある程度意識した。90年代のデフレは結果としてのデフレだが、政策的なデフレは日本経済で3回あった。松方財政、井上財政、そしてドッジ・ラインと。政治的な介入を通して経済の構造改革をしようとしたときにデフレが起こる。ある意味ではやむをえない。成長を語るのは簡単だが、そうでないところをきちんと見る。歴史を考えるうえで大切なことだ。

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事