「専門家会議は経済無視」批判が誤っていた理由 「不確実性」が突出していた新型コロナ危機

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柴山:経済の被害を抑えるために、政府が一時的にお金を出すことはできるでしょう。僕も、国民の一律給付には賛成でした。だけど、給付金が行き届くのに時間がかかりましたね。日本のシステムは、国民一人ひとりに迅速にお金を配れるようにはなっていないわけです。

さらに、「8割削減」の最終的な影響はおそらく、補償政策で対応できる範囲を超えてくると思います。世界全体がこういう状態で、輸出や海外投資など外需に関わる部分が落ち込んでいるうえに、内需の動きまで止めてしまうわけですからね。短期で見ても天文学的な規模の経済損害が出ると思っています。

これから世界的に予想もしないような危機が起きてくると思いますが、どんな形で危機が始まるのかということまでは予測できない。今の経済は地球規模の複雑系システムで、いろいろなところでいろいろなことが玉突きのように連鎖するからです。経済という生態系が壊れるときは、われわれの想像を超えた形で壊れていく。そうとう悲観的なシナリオを設定して対策を考えていくことが必要になってくるでしょう。

佐藤:コロナをめぐっては、医療に関する破局的なシナリオと、経済に関する破局的なシナリオをともに回避しなければならない。ただしこれは「医療と経済、どちらに重点を置いてもいい」ことを意味しません。感染被害が拡大し、医療崩壊も起きて、なお経済が回ると本当に思いますか? 感染被害の抑圧なくして経済被害の抑圧なし、自粛緩和論者はここを見落としている。

しかも柴山さんが述べたとおり、今回の経済被害は世界規模です。一国の政府がやれることにだって限界がある。まして政府の財政出動が不十分だったら、リスク想定を下げて、自粛を緩めたところでどうにもならない。経済対策としては焼け石に水で、感染拡大を促進するだけ。事態が想像以上に厳しい点を直視したがらない者が多すぎます。このままでは医療と経済の双方について、破局的なシナリオが実現してしまう危険がある。

コロナウイルス対策に見る国柄

:私が今回のコロナ問題を見ていて興味深く思ったのは、危機への対処にも国柄が出るというところでした。

施 光恒(せ てるひさ)/政治学者、九州大学大学院比較社会文化研究院教授。1971年福岡県生まれ。英国シェフィールド大学大学院政治学研究科哲学修士(M.Phil)課程修了。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程修了。博士(法学)。著書に『リベラリズムの再生』(慶應義塾大学出版会)、『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』 (集英社新書)、『本当に日本人は流されやすいのか』(角川新書)など(写真:施 光恒)

欧米は法律の裏づけをしたうえで非常に厳しい罰則を設けました。イタリアは外出禁止に違反したら35万円の罰金、アメリカのカリフォルニア州ではマスクをしないだけで300ドルの罰金だそうです。法律に基づく厳しい罰則で感染拡大を防ぐというのが、欧米のやり方でした。

柴山:アメリカやヨーロッパを見ていると、エリートと庶民の対立が深刻だと感じます。コロナへの対応についても、エリートは「リスクを高めに設定して、ロックダウンで感染を終息させる」と考えていますが、庶民は「それでは生活できない」と強く反発している。

ヨーロッパの国の多くはエリートのほうに合わせて厳格なロックダウンを実施した。アメリカは州によって対応がさまざまですが、「マスクもしたくない」という人が結構たくさんいて、もともとそういう層に支持されて大統領になったトランプは、ロックダウンに否定的だった。

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