カルビー「1位なのに低収益だった」意外な過去 高シェアでも安住してはならないという教訓
ポテトチップスの鮮度という問題を克服するためにカルビーが繰り出したのが、北は北海道の千歳、南は九州の鹿児島に至る、全国を縦断する工場群でした。日本の消費者に「新鮮なポテトチップス」を供給するための工場を新設することで、ロジスティクスの面でカルビーはポテトチップス業界の競争で優位に立ちます。
競合他社がポテトチップスに参入しようとしても、カルビーのような莫大な設備投資を行うことは難しく、結果としてポテトチップスではカルビーの独壇場となったのです。
ところが、ポテトチップスのシェア75%という快挙を成し遂げたカルビーは、1990年代以降にジワジワとシェアを低下させ、2010年前後には国内シェア60%を割り込んでしまいました。2009年3月期のカルビーの業績は、売上高営業利益率3.2%という水準に低迷します。一体、かつての急成長企業・カルビーに何が起こっていたのでしょうか?
「過去の強み」が逆に低収益体質へと陥らせた
1990年代を通じてカルビーに襲い掛かったのは、食品包装パッケージの技術革新と、国内の人口減少でした。
1980年代に食品包装である重要な技術革新が起きます。それは、最先端の包装技術を駆使することによって、ポテトチップスの酸化による劣化を防ぐことが可能になったからです。つまり、従来は「ポテトチップスの劣化」という問題が存在し、カルビーは「設備投資」によってこの問題を克服することで圧倒的なシェアを握る原動力になっていましたが、このシナリオが崩れることを意味しました。
このため、カルビーが全国津々浦々に設けた製造物流拠点は、ポテトチップス業界での競争において、その重要性が低下してしまいました。つまり、カルビーにとって競争優位の源泉であった強みが、強みではなくなってしまったのです。
加えて追い討ちをかけるように、カルビーに国内の人口減少という変化が襲い掛かります。人口減少というトレンドの中では、たとえトップシェアを同じ水準で維持していたとしても、売上高は減少してしまいます。
カルビーにとっての不幸は、かつて、ポテトチップスの鮮度を維持するために全国に分散配置した製造物流拠点が、逆に、重い固定費になってしまったことです。人口が増加する前提で全国に配置された工場は、人口が減少する中では「不要不急」な存在となり、カルビーは重たい固定費に悩む会社へと変化してしまったのです。
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