カルビー「1位なのに低収益だった」意外な過去 高シェアでも安住してはならないという教訓
ところが、カルビーの社内には危機感は薄く、抜本的な解決策はとられないままでした。1990年代から2000年代にかけてのカルビーは、ポテトチップスではシェアトップを確保するものの、収益性の改善が先送りされました。当時のカルビーは非上場企業だったという事情もありますが、解決策が講じられないまま時間が経過し、シェアトップにも関わらず低い利益率という、不思議な会社になってしまいました。
この結果、カルビーは、かつての強みであった「全国に分散配置された製造物流拠点」が、逆に弱みになってしまい、危機的な状況に陥ります。2009年3月期の売上高営業利益率3.2%という低い水準も、工場の稼働率が低すぎることが根本的な要因でした。
数値経営に徹することで、戦略シナリオを再構築
そんなカルビーに代表取締役会長兼CEOとして迎えられたのが、医療機器メーカー・ジョンソン・エンド・ジョンソンの日本法人の社長であった松本晃氏です。
松本会長がカルビーの改革に着手した時点で、カルビーは粗利率が低いという問題を抱えていました。
ポテトチップス2社の2009年時点でのコスト構造を比較すると、カルビーは粗利率が35.1%であるのに対し、湖池屋の粗利率は42.4%。カルビーの粗利率35.1%は食品の一般的な上場企業の水準と比べても「劣った水準」であり、早急な対処が必要でした。
そこで、松本会長が取り組んだのは、粗利率を改善するために工場稼働率を上げることでした。当時のカルビーの工場稼働率は低い水準にとどまっており、これがカルビーの粗利率を低下させる大きな要因だったため、松本会長は「工場稼働率の向上」に取り組みます。
その上で、稼働率をあげたことで増産されたポテトチップスの売れ行きを伸ばすために、カルビーはポテトチップスの値下げを決断します。この結果、カルビーはポテトチップスでのシェアを湖池屋などの同業他社から奪うことに成功しました。
この間のカルビーの具体的な打ち手は、拙著『20社のV字回復でわかる「危機の乗り越え方」図鑑』で詳しく解説していますが、カルビーは松本会長による「数値経営」によって、カルビーの経営再建を推し進めます。
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