平城宮跡を貫く近鉄線「移設計画」は実現するか 40年前からの懸案が進展、しかし課題は山積
40年ほど前の1980年代に入ると、宮跡の内外にある多数の踏切が渋滞の原因として問題視されるようになった。当時の建設省や奈良県、奈良市、近鉄は、駅の高架化や宮跡内の線路の地下化などによる踏切の解消を検討したが、膨大な費用がかかることや、宮跡内に埋まっている木簡などの文化財保護が障壁になり、具体化しなかった。
その後、大和西大寺駅西側の踏切が2004年「開かずの踏切」に認定。2008年には文化庁が平城宮跡保存整備の基本構想推進計画を策定し、近鉄奈良線について「移設等を含め将来のあるべき姿について、協議・検討を進めることが求められる」と明記した。国土交通省の検討委員会も、地下化や高架化でルートを変えるとした基本計画案を示したが、本格的な動きにはならなかった。
踏切改良の法改正で進展
しかし2017年、踏切道改良促進法が改正されたのを機に、事態は進展。大和西大寺駅西側の踏切4カ所が同法に基づき「改良すべき踏切道」に指定され、2018年には宮跡内を含む大和西大寺駅から新大宮駅付近にかけて4カ所の踏切も「改良すべき踏切道」に指定された。
これにより奈良県は関係者と連携し、踏切の改良計画を取りまとめて国土交通大臣に提出する義務が生じた。奈良県・奈良市・近鉄は2017年4月、連携協定を締結して改良計画の検討を始めた。
ただ、大和西大寺―近鉄奈良間の移設に近鉄は反対。踏切ごとに対策することを提案し、協議が難航していた。このときの反対の理由について、近鉄の広報部は「コメントは差し控えさせていただく」と話したが、おそらく巨額の費用負担を警戒したのだろう。
奈良県案を基本に協議するという2020年7月の合意は、その対立構造から一歩脱したとはいえる。しかし、奈良県の荒井正吾知事が7月16日の会見で「移設案をもとに協議を進めようということが決まったと理解している」と強調したように、移設が決まったわけではない。課題は依然として山積している。
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