平城宮跡を貫く近鉄線「移設計画」は実現するか 40年前からの懸案が進展、しかし課題は山積
私は1980年代末期から1990年代前半にかけ、奈良市内に住んでいたことがある。住み始めたころ、不思議に思ったのが近畿日本鉄道(近鉄)奈良線の大和西大寺―近鉄奈良間。小学校でも習う奈良時代の首都、「平城京」の宮跡(国営平城宮跡歴史公園)を横切っているのだ。
平城宮跡は国の特別史跡で、1998年には世界遺産に登録された文化財。その「内部」を電車が通り抜けていることに違和感を覚えた。実際、当時から景観上の問題が指摘されていた記憶がある。
しかし、この問題が解決されるかもしれない。奈良県・奈良市・近鉄の3者は2020年7月16日、奈良県の線路移設案を基本に協議する方向で合意。これまで移設に反対していた近鉄が譲歩し、次の段階へ進むことになった。
かつて「宮跡車両基地」の計画も
奈良県案では大和西大寺駅付近を高架化し、宮跡の西側を高架橋で南下。宮跡南側の奈良県道1号・国道369号(大宮通り)に沿って東に進みながら線路を高架、地上、地下へと移し、既に地下化されている近鉄奈良駅付近の線路に合流する。現在の新大宮駅を新ルートに移すほか、2つの新駅を設ける。
高架から地上、地下に移る地点をどこにするかなどの細部は今後の協議次第だが、いずれにせよ踏切は設置しない方向だ。この案通りに完成した場合、宮跡内から近鉄奈良線の線路と電車の姿が消える。さらに大和西大寺駅付近から新大宮駅付近にかけ8カ所の踏切も解消。ラッシュ1時間のうち最大約50分遮断される「開かずの踏切」がなくなり、道路渋滞の緩和が図られる。
大和西大寺―近鉄奈良間は1914年、近鉄の始祖である大阪電気軌道(大軌)の手により開業。当時は平城宮のあった場所が特定されておらず、宮跡一帯は田畑が広がっていた。そのため、大軌もとくに意識することなく宮跡を横切るルートで建設したのだろう。しかし、この頃から宮跡の研究が進み、1922年には国の史跡に指定されている。
戦後の1952年、平城宮跡は特別史跡に指定。近鉄は宮跡を横切る部分に車両基地の整備を考えたが、「国民的世論により中止」(平城宮跡歴史公園ウェブサイト)になり、代わりに橿原線の大和西大寺―尼ヶ辻間に車両基地を整備した。
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