「火星に生命は存在するか」への現時点での答え 史上初、NASA「火星サンプルリターン」始動
火星ローバーの開発というと華々しい仕事に聞こえるかもしれないが、日々の仕事は楽しいことばかりではない。毎日、何万行という複雑なコンピューター・プログラムと睨めっこする。何かがうまく動かないと、それを一行、一行チェックしてバグを探す。レビューがあるたびに山のような改善点を指摘される。マネージャーから厳しいことを言われることもある。
仕事に疲れた時、僕は背もたれに頭の重みを預け、目を閉じて想像に耽る。数年後、このローバーが火星に降り立ち、僕が書いているソフトウェアによって赤い大地を走るだろう。そして集めた火星の岩が、十数年後に地球に戻ってくるだろう。そこから史上初の地球外生命の発見が成されるかもしれない。その人類史に永遠に残るだろう発見に、ほんのわずかとはいえ、僕の仕事が貢献できるかもしれない……。そんなイマジネーションが疲れた僕を日々励ます。僕は目を開け、またパソコンに向かう。
火星に命はあるのか?
マーズ2020ローバーから始まる火星サンプルリターンの目的は、火星が豊かな水を湛えていた過去の生命を探すことだ。
では、現在の火星に生命はいるのだろうか?
もしいるならば地下だろう、というのが大方の科学者の考えである。火星の地上は生命に適した環境ではなさそうだからだ。
理由は放射線(宇宙放射線および紫外線)だ。地球ではヴァン・アレン帯やオゾン層が太陽や宇宙から飛来する放射線を防いでいる。だが、そのようなバリアのない火星の大地には放射線が無慈悲に降り注いでいる。それが生命の身体やDNAを傷つけるだけではなく、土を殺菌作用のある漂白剤にしてしまう。
ちなみに宇宙放射線は将来の有人火星探査にとっても最大の壁のひとつだ。火星表面における、宇宙放射線による人体への被曝量は一年あたりおよそ0.1〜0.3シーベルトと見積もられている。これは地球の約100倍である。現在のNASAの宇宙飛行士に対する生涯被曝量の上限は0.44〜1.17シーベルト(性別、年齢、喫煙の有無で異なる)なので、数年の有人探査ならば大丈夫だが、定住するには厳しいだろう。将来の火星都市は地下に築かれるかもしれない。
強い放射線が胎児や乳幼児の発達にどう影響するかも未知数である。言うまでもなく、繁殖できなければ人類は定住できない。一方、地下では放射線が遮蔽されるうえ、凍っているが水がある。温度変化も地下の方が穏やかだ。もしかしたら、地下の洞窟が火星生命のライフボートになっているかもしれない。もしかしたら、岩石や氷の中に息を潜めている命があるかもしれない。
現在のところ、火星の現生生物を探査する具体的な計画はない。洞窟を車輪で走るのは困難だろうから、脚で移動するロボットを使ったミッションになるかもしれない。あるいは、モグラのように火星の土や氷に穴を掘って進むロボットかもしれない。
地下に潜らずとも現生生命と出会える可能性もある。最近、低緯度地方のクレーターの淵などで何かが流れ下ったような跡が多数見つかった。RSL(Recurring Slope Lineae)と呼ばれるこの現象は、日向の斜面で毎年夏に観測され、冬になると消える。流れているものの正体については未だ議論がある。ある人は流水だといい、ある人は流砂だという。
だがいずれにしても、流れが引き起こされるプロセスに液体の水が関与している可能性は高いだろう。その水に、生命がいるかもしれない。
急峻な斜面にあるRSLを探査するのも簡単ではない。崖の上からロープを張って降りていくというアイデアがある。ドローンにより上空からアプローチするというアイデアもある。あるいは、脚を使ってロボットが下から登っていくこともできるかもしれない。
もし現在の火星に生命がいたならば、どれほど健気で我慢強い命だろうか、と思う。
火星最後の湖が干上がって数十億年、終わりのない冬をじっと耐えながら、命の火を絶やさず守り続けてきたのだ。遠藤周作の小説『女の一生』で描かれたような、江戸時代の200年間信仰を守り通した隠れキリシタンをふと想像する。人類の到来は彼らにとって福音となるだろうか。それとも……。
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