独自の風習や文化が色濃く残る大阪のタクシー事情は現在、どうなっているのか。コロナ禍の5月下旬、大阪のメインストリートの1つである、御堂筋の心斎橋駅前でタクシーを拾った。
「大阪のタクシーの安さはたぶん日本一。東京から来た人はみんなビックリしはるから。ただ、ドライバーにとってうまみはなく、実入りは少ない。商売としてはあきまへんわ」
今野さん(仮名・50代)は、筆者を乗せると開口一番にこう嘆いた。普段は関西でも有数の高級飲み屋街が集まる北新地を拠点にしているが、新型コロナウイルス蔓延の影響で、ミナミ近隣を流すことも多くなった。コロナ禍での営業事情を問うと、売り上げは約3分の1まで減少しているという。
「大阪で乗客が多いところでいえば、ミナミとキタ(梅田・JR大阪駅周辺)に集中している。最近では天王寺や天満なんかも多いけど、やっぱりこの2つがドライバーにとってはおいしいわけ。ミナミは客層があんまりよろしくなくて、よその土地から来た人間にはキツい。
だから私はずっと北新地やキタをメインでやってきた。あそこは接待メインのお客さんやから、『道が違う』『料金ちょこまかそうとするな』というクレームをつけてくる人が少なくて、地の人間でない私からするとありがたかった。それが2月くらいから、さっぱりダメになって……。ウチの会社でも辞めた人間はようけいますよ。いつまでこの状況が続くのか、そもそも会社が続けられる体力があるのか、というのは不安ですわ」
ドライバーがぶつかった最初の壁
徳島県に生まれた今野さんは、地元の高校を卒業したあと、市内の工務店に勤務した。30代で自身の工具屋を興すが、不況のあおりを受けて倒産。友人が代表を務める会社から誘いを受け、大阪市内の会社で働くが長くは続かなかった。
タクシードライバーを仕事として選択したのは、40代になってからだ。以降は10年弱、ドライバーとして生計を立てている。
土地勘のない今野さんがまずぶつかったのが、“言葉の壁”だった。
「もともと運転は苦にならないタイプで。40代でこの業界に入って崖っぷちの状態から、頑張って結構な時間、働いた。それでもなかなか30万を稼ぐことができなかったんです。お客さんに言われてハッとしたのは、『運転手さん、関西人ちゃうやろ。大阪やと関西弁しゃべれへんかったら稼げへんで』ということ。そこから飲み屋などで関西弁を勉強して、今では関西人と同じくらいの関西弁は身につけた(笑)。大阪はやっぱり特殊な場所やな、と思いながら」
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