吉祥寺に「有名漫画家が多く暮らす」納得の理由

「少女漫画の舞台」として最高の環境だった

多くの有名漫画家が暮らす街・吉祥寺。なぜこの街に多くの才能がひかれたのか? (写真:t.sakai/PIXTA)
『有閑倶楽部』の一条ゆかりや『ストップ!! ひばりくん!』の江口寿史、『AKIRA』の大友克洋など多くの有名漫画家が暮らす街・吉祥寺。なぜこの街に、漫画家たちはひかれるのか? コンテンツツーリズムに詳しい法政大学の増淵敏之教授による新刊『伝説の「サロン」はいかにして生まれたのか』から抜粋・再構成してお届けする。

吉祥寺のF&Fビルの横にあるプチロードは、全長50m程度の細い街路だが、現在でもカルチャー色の強い飲食店が軒を連ねている。

1966年、野口伊織が、現在のパルコ裏に「ファンキー」を新規開店した。やがて3階建てに改装し、地下1階と1階はおしゃべり厳禁のシリアスなジャズ喫茶、2階をジャズボーカルアルバム専門のサロン的なバーにした。

その後1980年までに、界隈には「be bop」「out back」「赤毛とそばかす」「西洋乞食」「SOMETIME」「ハム&エッグス」「チャチャハウス」「ココナッツグローブ」「レモンドロップ」と、次々に喫茶店が開店していく。

ジャズ喫茶でいえば、現在もジャズ評論を行っている寺島靖国が、1970年にオープンした近鉄デパート裏の「メグ」が有名だった。彼が経営している「モア」は、現在でもプチロードにある。ウェブ上には、寺島がプチロードに関する青春の思い出をつづった文章が散見できるが、とくに「out back」「赤毛とそばかす」が多く取り上げられている。

サブカルチャーの街・吉祥寺

1970〜80年代は、プチロードを中心に若者たちがこの界隈に集まった。ここからサブカルチャーの町、吉祥寺の1つの顔ができていく。

吉祥寺という街には、僕や円山君のような奴が無数に群れている。人気ブランドというのだろうか。平均して家賃は安くないが、勤め人には向かず、自分の才覚で一旗あげようと考えている若い奴らが吸いよせられ、集まってきているのだ。
(花村萬月『幸荘物語』角川文庫)

小説家・花村萬月の『幸荘物語』は、吉祥寺が舞台の作品だ。読み方次第では、当時の吉祥寺のガイドブック的な側面も持っている。小説家志望の24歳の吉岡を中心にした青春物語である。

都市の文化装置の1つにライブハウスがあるが、吉祥寺といえば「ぐゎらん堂」が想起される。1970年に開店したライブハウスで、当時はまだライブハウスという言葉自体が存在していなかった。その所在地は、「ぎんぎら通り13番地」と呼ばれ、吉祥寺フォークの拠点となった。正式な地番でいうと、吉祥寺本町2丁目16-1で、東急裏と呼ばれるあたりだ。

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