コチドリの最期は時にあっけないがゆえに尊い 天敵を巣から遠ざけるため自らがおとりになる
しかし、行動の主は鳥である。本当に、親鳥は子どもを助けるためにおとりになっているのだろうか。敵の目を欺(あざむ)くような複雑な行動をとることができるのだろうか。そもそも、鳥類に人間のような愛があるのだろうか。
コチドリが見せる奇妙な行動は、しばしば学者たちを悩ませてきた。
コチドリが翼を引きずるようなしぐさをするのは、傷ついたふりをしているのではなく、パニックになって飛べなくなっているだけだという解釈もされてきた。しかし、コチドリの行動を見ると、間違いなく、子どもを救おうとしているように見える。
現在では、コチドリの擬傷は「利己的な行動である」と説明される。
遺伝学者のリチャード・ドーキンスは「利己的な遺伝子」という考え方を提案し、生物は個体が遺伝子よりも優先するのではなく、遺伝子のほうが個体よりも優先すると説いた。すべての生物の体は遺伝子の乗り物にすぎず、遺伝子を増やすために、「個体」という生物の体は利用されている、としたのである。
生命の本質は遺伝子にある。そう考えると、利他的と思えた生物の行動の多くは説明ができる。
自らの遺伝子は子にコピーをしていくことができるから、自らの本体を頑(かたく)なに守らなくても、たくさんのコピーを増やしていけばよい。
次世代にコピーした遺伝子を残すための行動?
コチドリの親鳥が子どもを守ることも、次世代にコピーした遺伝子を残すためと考えれば、利己的な行動として説明できるのだ。
自分の身を犠牲にしても、子どもたちを必死で守ろうとする親鳥。
そんなものは本能である、そんなものは子を思う親の愛ではない、という言い方もできる。
それは間違いではないだろう。
それでは人間はどうだろう。
私たちは赤ちゃんや幼い子どもを見るとかわいいと思うが、それには理由がある。
たとえば、人間の子どもは、おでこが広く、目や鼻が顔の下のほうに配置されている。この配置が子どもであることのサインである。そして、大人はこのサインを見ると、脳は「かわいい」と感じるようにプログラミングされている。そのため、猛獣であるライオンの赤ちゃんを見ても、かわいく思えるし、キティちゃんのように、その条件を満たしたキャラクターは、かわいく見える。
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