余計な罪悪感は要らない
とにかく人に仕事を振る、依頼するという作業には、ある程度の心理的負担が伴うもの。
「振られた相手は、気分を害してしまうのではないか?」
と気になって仕方ない人もいます。ただ、余計な罪悪感は不要です。振るべき相手に対して毅然と振りましょう。仕事を振った、またはむちゃ振りをした人は、それによってその仕事にかかわる人を「作った」とも言えます。振った相手に何らかの「きっかけ」を与えたわけです。自分が「きっかけ」を与えた人々は、それが何らかの糧となり、やがて世の中で動き出していく。つまり、自分が仕事を振ったことによって、振られた人の人生や新しい縁を作っていくことができるともいえるのです。
仕事を振ることで、振られた人たちの橋渡し役になる場合もあります。1カ月に5人に仕事を振っていたとしたら、1年で60個の縁を作ることになる。その縁がきっかけで、振られた人が成長できたり、そこで出会った人と組んで新しい仕事をするなど、その後に発展する可能性もあります。結果として、仕事を振られた人の成長や、新たな出会いに関与することができるというわけです。
当方の場合も、自分が仕事をむちゃ振りしたことで、そこで出会った人同士が結婚したり、仕事がうまくいって会社を一緒に立ち上げたり、転職したりと、人生が動いた人がたくさんいます。むちゃ振りをすることによって、いろんな人にとっての、いろんなきっかけを生み出すことができたのです。
このように、むちゃ振りには自分が中心となり、世の中のいろんな物事を動かしていける可能性があります。もし自分で仕事をすべて抱え込んでやっていたら、その縁は生まれません。それだけでなく、自分がむちゃ振りをした人の紹介で、新たな人に出会う場合もあります。その結果、また別のプロジェクトが生まれたり、さらに向こう側にいる人とつながるケースも出てくる。
つまり、むちゃ振りで生み出される縁は、仕事を振った自分にももたらされる可能性があるということ。振った相手のみならず、自分にも新しい仕事や縁などの「きっかけ」が生まれる場合もあるのです。まさに「情けは人のためならず」で、自分がやったことは全部、自分に返ってくるのです。
その意味でも、ただ単に面倒だから「丸投げしちゃえ」という意識でむちゃ振りをしている人は、考え直したほうがいいかもしれません。
サントリーの創業者、鳥居信治郎の有名な言葉があります。
「なんでもやってみなはれ、やらなわからしまへんで」
むちゃ振りも、実際にやってみないと何が生まれるかわかりません。振った自分も振られた相手も幸せになれる「むちゃ振り上手」を目指しましょう。
もちろん、むちゃ振りしまくればいいというものではありません。振られた相手が要する時間的な負担を配慮したいものです。先ほどのケースに出てきた広告代理店の課長は、部下に残業などで業務負荷をかけすぎないように、一応、マネジメント的な配慮は行っていました。
もはや、無謀な残業が賞賛される時代ではありません。振られた相手が徹夜作業で疲弊するような事態にならないように、気配りを怠らないようにしたいものです。
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