コロナが映す「平和な社会」に必要な5つの視点 民主主義の走錨とまだらな発展が浮き彫りに

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第4に、さまざまな政治体制を超えたヒューマン・ネットワークの重要性を改めて提起した。

たとえ政府間の国益の利害対立があっても、市民社会・NGOの国境を超えた人類益重視のグローバル・ネットワークは人類共同体の推進アクターとしてその重要性は一段と強まったのではないか。

一方で、脅威となるのは情報操作である。大量に発信される情報のなかで、必要かつ信頼できる情報とは何か。それにはやはリベラルなデモクラシーがあってこそ、真摯な議論が可能となり、人類益の展望が開けるのではないか。

平常時であっても非常時をにらんだ人材育成が必要

最後に、平常時における危機感がない状況下でも非常時に対応可能な人材の地道な育成が喫緊の課題であることが再認識された。

いま世界が待ち望んでいるのは新型コロナウイルスに対応可能な治療薬やワクチンの開発である。その意味で地球公共財としての科学者の養成が必要になっている。若い研究者が地道に研究を続けるための日常的な環境をいっそう強化することが求められる。もちろん、国境を超えた人的交流を前提としたものであることはいうまでもない。

特に日本は若手研究者の養成に積極的ではない。今回のような未知のウイルスに挑戦する研究者の養成は単に日本のためだけではなく、世界の平和と安全に寄与する。

筆者は冒頭で述べたように、リベラル・デモクラシー(自由民主主義)の世界的後退に鑑みて、「民主主義」は走錨しているのではないかと指摘した。それはロシアにおける「主権民主主義」の存在であったし、中国を含めた権威主義国家による自由民主主義の脆弱性を鋭く突いた「シャープ・パワー」の存在とも関係する。

しかしその一方で、アメリカ自体がトランプの誕生にみられるように民主主義の脆弱性を露呈しているという指摘もある。つまり、トランプのような過激な大統領候補者を候補者指名の段階で防げなくなったのだという。アメリカにおける抑制と均衡という2つの規範が機能しなくなったのだ。スティーブン・レビツキーらはこのシステムをアメリカの民主主義の「柔らかいガードレール」と呼び、党派間の闘争を回避するシステムであったと述べる。

また、先進国と途上国の「開発の同時性」にも言及した。筆者のフィールドである東南アジアの首都、都市部の発展は目まぐるしく、交通渋滞は年ごとに増し、大気汚染もひどくなっている。他方で、地方などの遠隔地域とのさまざまな格差が顕著になってきている。

筆者が定点観測している東ティモールのような小国であっても都市と農村の格差はインフラ設備の違いを反映して大きい。この状態を筆者は「まばらな発展」と称したのである。

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