女性の場合は30代後半、男性の場合は40を越えた婚活者たちが、入会面談のときに決まって口にする言葉がある。「できることなら、子どもを授かりたい」。その年齢のデッドラインが見えてきて、慌てて婚活市場に参入してくる人たちが多いのだ。
2017年3月9日に配信された記事「結婚するとは『運命共同体』を結成することだ」の主人公として書いた祐一(仮名、当時43歳)も、そんな1人だった。その彼が成婚退会から3年半経って子どもを授かり、父親になった。今回の『仲人はミタ』は、その3年半の道のりにスポットを当てる。
36歳、38歳を振って、41歳の女性を選んだ理由
過去の記事にも綴ったが、祐一はそもそも結婚に興味がなかった。
仕事一筋で家のことは母親に任せきりだった父。もともと病弱で精神的起伏が激しかった母親は更年期にうつ病になり、あるとき自殺未遂をはかる。結婚を予定していた妹は結婚を延期し、家族は崩壊しかけた。
「これが結婚のありさまか。結婚なんてしないほうがいい」
祐一は、そう思っていた。
ところが、その後父は仕事をやめ、家事をしながら母親に寄り添うようになった。
「家事って思っていたより大変なんだな。母さんに任せきりにして悪いことをした」
そう言って慣れない家事をしている父の姿に、母も日に日に落ち着き笑顔を取り戻していった。そんな夫婦の姿を見ていくうちに、祐一の気持ちも“結婚なんてしないほうがいい”から“結婚するのも悪くないかもしれない”と変化していった。そして、婚活を決意し、私を訪ねてきてくれた。
入会面談のときに祐一が言っていた。
「結婚するのなら、子どもを授かって自分の名字を残したいんです」
彼は先祖が九州出身で、とても珍しい名字だったのだ。
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