「夏の甲子園中止」なのに地方はOKの大きな矛盾 朝日新聞社と高野連はリスクを押し付けるのか

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選手権大会としては中止を決めながら、同じようなリスクを抱えていても地方独自の大会なら開催できるというのでは理屈が通らない。「選手の安全・安心に重点を置いた」と述べた渡辺社長だが、地方大会の安心・安全には重点を置かなかったのだろうか。

甲子園大会と各都道府県でのいわゆる代替大会に違いがあるとすれば、球場までの移動手段と宿泊の有無、それに帰郷後の感染拡大ぐらいしか思いつかない。逆に考えれば、移動手段と宿泊について感染防御体制を尽くし、帰郷後の外出自粛を徹底すれば、甲子園大会も開催できることにはなりはしないか。

中止が決定された直後の会見で、大阪府の吉村洋文知事が、こんなことを言っていた。

「ぜひ高野連には、考え直してもらいたい。リスクを高野連がとってやるべきなんじゃないのか。(甲子園大会を)なくせばリスクはなくなるが、そこで失われるものは非常に大きい」

そして、野球以外の競技も含めて大阪府による代替大会を開催する意向を示した。

大人の側が早々と諦めていいのか

「子供の頃から夢を追いかけ続けた生徒も多い。勝敗だけの問題じゃない。大人の側が、最後まで諦めてはいけない」

甲子園に出場できるのは、全国4000校弱の高校野球部のうち49校しかないが、多くの高校球児は甲子園を目指して戦い、地方大会で「引退」する。情緒的な要素を考えすぎると本質を見失う。だが、この閉塞感が漂う社会の中で、球児たち、いや、あらゆる競技の選手たちのひたむきなプレーは、私たちの心に明かりを灯してくれるに違いない。

全国のどの地域でも、第2波、第3派が来る可能性はある中、朝日新聞社と高野連は、リスク責任を地方に押し付けた。「球児の健康を第一に考えながらも、球児たちの思いに報いたい」と開かれる代替大会で、球児たちはリスクを負いながらも、必死で戦うに違いない。だが、勝ち抜いても、その先に甲子園はない。矛盾に満ちた大人の事情を、球児たちはどう感じるだろう。

辰濃 哲郎 ノンフィクション作家

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たつの てつろう / Tetsuro Tatsuno

1957年生まれ。慶応義塾大学法学部を卒業後、朝日新聞社に入社。支局、大阪社会部を経て、東京社会部で事件担当や遊軍キャップ、デスクなどを務める。2004年退社。主な著書は『ドキュメント マイナーの誇り―上田・慶応の高校野球革命』 『海の見える病院 語れなかった「雄勝」の真実』、共著は 『歪んだ権威 密着ルポ日本医師会~積怨と権力闘争の舞台裏』 『ドキュメント・東日本大震災 「脇役」たちがつないだ震災医療』。佼成学園高校で甲子園に出場。慶応大学では投手だった。関連して著書に『ドキュメント マイナーの誇り・上田慶応の高校野球革命』がある。

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