コメンテーターになぜこうもイライラするのか コロナ禍で「喋るほどに批判される」逆境の必然

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もともと制作サイドには、「その分野の専門家だけでなく、他分野の専門家だからこその視点もある」「親近感のあるタレントが視聴者目線でコメントすることも大事」「時に分野を越えた議論も必要」などの意図があり、多くのコメンテーターを起用してきました。視聴者もある程度その意図をわかっていますが、深刻な状況の現在は「時間の無駄だから聞きたくない」「大切なことがわかりにくくなる」「素人意見を視聴者が信じてしまったらどうするんだ」という気持ちが強くなっているのでしょう。

中には専門外であるにもかかわらず、「国や国民のために私が言わなければ」と使命感に燃えて発信し続けるコメンテーターも少なくありません。しかし、発信するほど視聴者感情との乖離が大きくなり、「この人が言っても説得力がない」「うるさいだけだからもう出るな」と批判を浴びる悪循環に陥っています。

通常、情報番組はさまざまなテーマを扱っていますが、現在はそのほとんどが新型コロナウイルス関連に集中しているだけに、これまでのコメンテーターたちがフィットしないのは当然。視聴者にとっては、「何でこの人がいるの?」「しばらく休んでもらったほうがいいんじゃない?」と思わざるをえない状態であり、これ以上の批判を生まないためには、制作サイドが何らかの手を打たなければなりません。

「批判ありき」の主張に募るイライラ

次に多い批判の声は、「批判ありきで、不安をあおるだけのコメンテーターばかり」「批判するほど視聴者の支持を得られると勘違いしているのではないか」などの批判に関するもの。コメンテーターが発した批判がブーメランのように自らのもとに戻ってきて批判されているのです。

もちろん健全な批判であればいいのですが、問題視されているのは「批判ありきで褒めないこと」「憶測で話していること」「改善策や代案がないこと」の3点。

私はこれまで50人を超えるコメンテーター経験者と公私で会い、SNSも含めてコミュニケーションを取ってきましたが、実感としては約7~8割程度が批判することをためらわないタイプのキャラクターであり、むしろそれをベースに活動する人も少なくありませんでした。もちろんそれは悪いことではありませんが、コロナ禍で不安や不満を抱える人が多い今は、それをあおるような批判の多いコメンテーターほど嫌われやすいのです。

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