ダイキンの”欧州躍進”のタネを蒔いた男 ダイキン工業 執行役員 空調営業本部長 坪内俊貴(上)

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 日本に今ほど、新しい事業や商品が求められている時代はない。ただし、多くの日本の企業は、縦割り構造が強く、異分子が混ざり合うチャンスが少ないのが現状だ。そんな状況にもめげす、大企業の中でイノベーションを起こしてきた“プロデューサー”たちにインタビューし、その思考法や生き方などを学ぶ。

 

果敢にグローバル市場を攻めるダイキン工業は、かつて欧州でエアコンの普及を目指して奮闘していた。 ドライな現地スタッフ、貪欲な現地企業、そして韓国勢の安値攻勢……。日本とビジネス環境が異なる欧州で、飛躍に向けた種をまき、育ててきたのが坪内俊貴現ダイキン執行役員だ。彼はどう現地に飛び込み、マネジメントしてきたのか?

20億円の売上高を100億円に

三宅:坪内さんはダイキンの欧州事業が大きく成長した頃に欧州に駐在し、立役者として活躍しました。

坪内:本当の立役者は、ヨーロッパ進出を決断し、成功を勝ち取るまで事業をあきらめず、それを続けてきた当時の経営陣だと思います。私は欧州地域の営業本部長として、ある程度、構築されていた販売網をさらに拡充する、また中東欧や中近東地域で新たに販売網を構築する仕事をしていました。最初に任された中東欧でなかなか事業を伸ばすことができなかったので、前線の販社から欧州地域の本部であるダイキンヨーロッパに召還されたというのが本当のところです(笑)。

三宅:欧州事業に就いたのは2000年ですね。

坪内:半年間のスコットランドでの実践研修を終え、オーストリアの販売会社に副社長として赴任し、実際に仕事を始めたのは2000年の8月からです。

三宅:そのとき当時の社長の井上礼之さんから与えられたミッションは、どういうものでしたか。

坪内:いや、辞令を受けたときは一介の課長でしたから、そんな期待はなかったと思いますよ。ミッションを与えるようなレベルではなかったのです。とにかく修羅場に放り込んでみて、生き残ったら少しは使いもんになるかな、という程度ではないでしょうか。

三宅:坪内さん自身としては、ヨーロッパに行きたいという気持ちはあったのでしょうか。

坪内:正直な話、私は入社したときから、「メーカーに入ったからには、ものを作り、販売をし、サービスをする、このすべてに携わりたい」と思っていました。ダイキンヨーロッパ社はこのすべての機能を持っていましたので、そこに行けば、すべてのビジネスフローに入り込み、仕事ができるかもしれないという気持ちはありました。

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