かつて日本はワクチン開発の最前線に立っていた。「日本近代医学の父」とたたえられる北里柴三郎は、破傷風菌の培養に成功し、血清療法を確立。この研究からさまざまなワクチン開発につながった。1934年に大阪大学の敷地内に設置された現・BIKENグループは世界で初めての水痘ワクチンの開発に成功。東西で日本のワクチン界をリードしてきた。
ところが、最近はほとんど成果らしきものがない。近年も肺炎球菌ワクチンや子宮頸がんワクチンなど、海外から輸入した「舶来もの」ばかりだ。日本でワクチン産業が落ち込んだ背景には、市場の不確実さがある。とくに難しいのが副反応問題だ。
副反応はワクチン接種によって引き起こされる発熱や発疹などの生体反応で、ごくまれに重篤化する場合もある。ワクチンの歴史を振り返れば、患者に一定程度起きる副反応と、国全体の公衆衛生上のメリットとの綱引きがあった。副反応問題ばかり気にしてしまうと、ワクチンメーカーは開発に消極的になる。巨額の開発費を投じても、ひとたび副反応が起きれば、売上げは見込めなくなってしまう。「本当に定期接種に組み込まれるのか」「副反応のが社会的な理解が得られるのか」などメーカーはいくつもの変数を想定しなければならない。
この状況を国が問題視し始めたのは2000年代のこと。海外で高病原性鳥インフルエンザウイルスが発生し、「新型インフルエンザウイルス」の脅威が日本でも叫ばれるようになったからだ。その頃、日本のワクチンメーカーを見渡せば中小企業や社団か財団法人ばかり。そこで厚生労働省は2006年に「ワクチン産業ビジョン」を策定し、ワクチンメーカーが発展していくための方向性を示した。
形骸化した「産業ビジョン」
産業ビジョンでは、ワクチンメーカーに大手の製薬企業の「一部」として、もしくは製薬企業と「連携」して、事業展開することを求めた。つまり、資金力のある製薬企業の傘下に入り、新しいワクチンを継続的に発売し、安定的に収益を得ることで「スパイラル発展させる」との目論見だ。これによって未知の感染症にも対応できる産業育成が狙いだったが、厚労省が主導していくというより、製薬企業に丸投げしたともいえる内容だった。
産業ビジョンの効果もあってか、その後、大手の製薬企業がワクチンメーカーと連携するようになる。第一三共は北里研究所、アステラス製薬は国内ベンチャーのUMNファーマ、大日本住友製薬は日本ビーシージー製造と手を組んだ。しかしながら、いずれの企業もうまくいかず、最終的に提携を解消することになる。
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