コロナ禍で競馬が無観客開催続ける大きな意義

震災乗り越えた8年前と対照的な福島競馬場

3月8日、武豊騎手は今年からディープインパクト記念の名称が付いた中山の弥生賞でディープインパクト産駒のサトノフラッグに騎乗して父を彷彿とさせる豪脚で勝利に導いた。

「3コーナーから自分から上がって行こうとしていたのが、本当にお父さんが中山を走っている時の感じで、それを思い出した」と振り返った。記念撮影後には無人のスタンドに向かって手を上げた。「お客さんがいるつもりで手を上げた。見てほしかった」と語った。それでも、我々を含めてこの当時はまだ無観客がそれほど長くは続かないだろうとどこかで思っていた。

しかし、新型コロナウイルスは感染拡大を続けた。田辺騎手が「桜花賞はお客さんが入って…」と語っていた時とは状況が変わった。3月29日の中京の高松宮記念はGⅠ初の無観客。4月5日の阪神の大阪杯を前に皐月賞を開催する4月19日までの無観客が決まった。これで4月11日に開幕する福島競馬の無観客が決定した。4月7日に緊急事態宣言が出されて以降も無観客開催は続いている。

1918年6月28日に初めて福島競馬が開催されて以来、太平洋戦争や東日本大震災などの影響のため開催ができなかった時期はあるが、福島競馬は競馬熱の高い市民に支えられ、常に歓声とともに熱戦を繰り広げてきた。

しかし、4月11日の1Rは静寂の中でファンファーレだけが響いた。放送のためのレース実況が場内に流れ、ターフビジョンに映像も流れたが、観戦する人はいない。

スタンドにファンの姿がない中、パドックを競走馬と騎手が淡々と周回した(筆者撮影)

ダートコースを馬たちは迫力満点に駆け抜けたが、本来聞こえてくるはずの「行け」「差せ」「そのまま」の掛け声や、騎手を応援する声援もない。サラブレッドの駆ける足音と騎手の気合を入れる掛け声、ステッキの音が聞こえるだけだった。

レース前にはファンのいないパドックを競走馬と騎手が淡々と周回した。

それは、2月29日に中山競馬場で見た光景と同じだった。それでも、やはり地元福島での無観客にはさびしさが込み上げた。4月11日から福島競馬は静寂の中でレースが続けられている。

震災が福島競馬に与えた試練

2012年4月7日。筆者は今回と対照的な1Rを目撃している。2011年3月11日の東日本大震災で福島競馬場は大きなダメージを受けた。

スタンドが損壊し、馬券発売のためのコンピューターや電源システムが致命的ダメージを受けた。原発事故の影響で放射線量も高くなった。競馬の開催どころか馬券発売も困難な状況となった。しかし、それでも競馬場は避難場所として被災者を受け入れ、市民とともに復活への歩みを始めた。

使える場所から馬券発売を再開し、スタンドは安全確保のために徹底した耐震補強に取り組んだ。何より、徹底した除染で放射線量を下げて安全な場所に生まれ変わった。安全な競馬場に多くの待ちかねた市民だけでなく、全国のファンを呼び戻す。その強い思いで関係者はわずか1年での競馬再開にこぎつけた。

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