学校は不登校、幻覚と幻聴はもっとひどくなった。不登校だった中学校は一応卒業となり、高校進学せずに精神病院に長期入院になった。
退院したのは2年半後で、住んでいた団地に戻った。
「戻ったら、母親は男の人と同棲していた。そこに私が帰ったことで母と男は不仲になって、別れた。でも男は母に付きまとうようなった。男とも関与したくない、母とも関わりたくなくて、一度本当に死のうって団地の踊り場から飛び降り自殺したんです。この手首の縫いあとは、そのときの傷です」
リストカットまみれの左手首に縦型の傷がそのときの傷だった。大腿骨を骨折して入院となった。母親はすぐ別の男を見つけ、再び団地で同棲しているという。退院しても家には帰りたくなかった。
「駅とかで道聞いたおっさんにナンパされて、家帰りたくない理由が一番だけど、カラオケ付き合ったりとか、あとネカフェに泊まらせてもらったり、その代償でセックスみたいな」
福祉制度をフル活用して生き延びた
男好きの母親にようになりたくない。という強い思いがありながら、家に帰らないでその場限りの肉体関係を繰り返した。後悔して自分を責める毎日で、日常的にリストカットをするようになった。4歳年上の男と知り合って、男の家で同棲した。フリーター同士のカップルでお互いアルバイトを見つけては辞めて、ギリギリの生活を送った。
「その男性も暴力ふるうし、性暴力みたいなのも。一緒に暮らすのが嫌になって、女性相談センターに行きました。当時は幻聴も幻覚もリストカットも全部がひどくなって、もうダメだと思って相談しました。2年前です」
地域の女性相談センターに、他県に引っ越しして生活保護を受けることを薦められた。それからこのきれいな部屋で暮らしている。就労はドクターストップがかかって、就労支援施設に通っている。女性相談センターとは「緊急の保護や自立のための支援が必要な女性の相談に応じる」福祉の窓口で、都道府県に1~2カ所設置されている。
親に恵まれなかった堀井さんは、小学校4年のときから、母子生活福祉支援施設、児童相談所、児童養護施設、精神病院、女性相談センター、生活保護と、福祉制度をフルに活用しながらなんとか生き延びていた。
「まだ仕事はうまく続けられないけど、生活保護になってからの2年間は誰からも暴力をふるわれないし、一番幸せ。でも、さっきもいったけど、もっと洋服とか化粧品が欲しい。だから、夏までにはちゃんと働けるようになりたい。それが目標です」
コロナショックで失業者が増えることは間違いない。失業者と自殺者数は相関関係があるので、このままだと自殺者は増えるだろう。暴力まみれの絶望的な環境に生まれ、精神を完全に壊し、なんとか二十数年間を生きた堀井さんの履歴から、なにか学ぶことはあるのではなかろうか。
日本は憲法25条で生存権が認められる。困難を抱え、絶望的な状況に陥っても福祉制度に頼れば、最低限の生活はできるのだ。
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