毎日一緒で「コロナ離婚」がよぎる夫婦への助言 米国製エリートが学ぶ「幸福の授業」の教え
パートナーが間違ったことをしても、進んで水に流す。そうすれば次にあなたが同じようなことをしたとき、相手もそうしてくれる。
さまざまな研究から、許すことこそが幸せな関係を維持するための要素であることがわかっている。アメリカが成功した大きな要素は、一度失敗した人々に第二のチャンスを与えていることだ。それは家族や他人との関係でも変わらない。
本当の愛やパートナーシップを手に入れるには、許すことが不可欠だ。たとえそのときは不公平で、恥ずかしいとさえ感じることであっても。
年齢を重ねると、与えることでより満たされるようになる。スコアをつけることは、本当の人生の喜びに身を浸さない心の動きを生み出す。
人生の喜びとは、愛している誰かのために何かをして、他のすべてと引き換えても、その人の幸せを選ぶことだ。それに尽きる。
人の面倒を見ることは、種に対する最大の貢献であり、命を長らえるという満足を得られる。結婚すれば、毎日、誰かの世話をすることになる。
「人間はしょせん、動物である」ことを忘れない
これは文字通りの意味である。いま振り返ると、これまでパートナーとした最悪のけんかの原因は、昼食を抜いたことだった。
余分な金を払ってでもデュアルゾーン温度調節車を買う。レストランで席に着いたら、何よりも先に、冷気という悪魔がそばにいないことを確かめる。妻を残して家を出るときは、エネルギー補給クッキーと、毛布としても使えるばかでかいカシミアのストールを必ず置いておく。
愛情、触れ合い、そしてセックスは、自分たちの関係が唯一無二のものであることを強く感じさせる。他のすべてをはぎ取られても、この人だけが欲しいと。
私たちは動物である。愛情とセックスは、何よりも本当の自分でいられるところだ。求められていると感じない人は、不安を抱えて、自分を好きになれない可能性が高くなる。そしてそれは人間関係のがんとも言える、無関心と軽蔑に変わることもある。
私の経験上、人生で最高の幸せは家族と仕事の成功を分かち合うことだ。分かち合う人がいなければ、見えているのは幽霊だ。本当に起こってはいるが、現実ではない。
しかし自分にふさわしいパートナーがいれば、それらは現実となり、もっと人間という存在につながり、目の前の〝この人〞が意味を持ち始める。
結婚式での「誓います」という言葉は「私は……あなたを大事に思い、守り、はぐくみ、そして求める」という意味なのだ。
(翻訳:渡会圭子)
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