幼児からの超英才教育「意外な落とし穴」の正体 成功者は早くから専門特化した人だけじゃない

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さまざまなスポーツを経験したことで運動能力や反射神経が養われたと、のちにフェデラーは語っている。だが、両親は彼のスポーツの才能に関して特に期待しておらず、幅広くスポーツをしてみることを勧めた。「何の計画もなかった」と母親は言う。

スポーツ・イラストレイテッド誌は、両親が「押しつける」のではなく、むしろ「引いていた」と評する。13歳になる頃には次第にテニスにひかれていったが、「もし両親が少しでも圧力をかけていたら、彼は真剣にテニスをしなくなっていただろう」と同誌は記す。

ようやくほかのスポーツ、特にサッカーを諦めてテニスに集中した頃、同年代のテニス選手たちは、フィジカル・トレーナーやスポーツ心理学者、栄養士などをつけて長年トレーニングを積んできていた。しかし、こうしたほかの選手との差が、フェデラーのその後の成長に影響することはなかった。普通であれば伝説的なテニス選手も引退していく30代半ばになっても、彼は世界ランキングで1位を獲得していた。

ゴルフやチェスは「親切な学習環境」にある

ゴルフでは、クラブでボールを打つと、飛びすぎたり、飛距離が不十分だったり、スライスしたり、曲がったりと、すぐに行動の結果がわかる。選手は何が起こったかを見て、欠点の修正を試み、もう1度試し、これを何年間も繰り返す。こうした分野は、「1万時間の法則」や、早期に専門特化して技術的なトレーニングを積み重ねると効果を発揮できるタイプである。学習者がシンプルにその活動に取り組んで努力すればうまくなれるので、学習環境は「親切」と言える。

しかし、人間が学びたい多くのことは、「親切」からほど遠い「意地悪な学習環境」にある。つまり、ルールが不明確か不完全で、繰り返し現れるパターンがあったりなかったりして、フィードバックはたいてい遅くて不正確だ。

しかも、狭い分野への専門特化が「意地悪な領域」と組み合わさると、「よく知っているパターンに依存しがち」という人間の傾向が大きく裏目に出やすい。例えば、熟練した消防士が、慣れない構造の建物の火災に直面したとき、突然、誤った選択をしてしまう。

ゴルフと比べるとテニスはより変化があり、プレーヤーが毎秒のように、対戦相手やテニスコートやペアの相手に合わせて調整している。ただそれでも、世の中全体から見れば、テニスも「親切」なほうに属するかもしれない。

病院の緊急治療室では、医師や看護師が患者と対面した直後に、患者に何が起こったかを自動的に知ることはない。彼らは未経験のことでも知る方法を見つけなければならず、自らの経験と矛盾することからも学んで、吸収していく必要がある。世界はゴルフではなく、たいていの場合、テニスですらない。

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