都心の中央線、なぜ直線でなく「S字」を描くのか 鉄道建設には江戸城外濠の「遺産」が役立った

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四ツ谷駅ホームに降り立つと、線路の両側が高い崖になっていて、崖下に立地していることを実感する。ホームは、江戸城外濠の一区画、徳川3代将軍家光の時代の1636~1639年頃に整備された「真田濠」の底に造られている。新宿方面からの電車がトンネルを抜けたら、水がないお濠の底に顔を出す格好になる。

四ツ谷駅すぐ近くにある旧御所トンネルの坑門。明治時代竣工の煉瓦造り=2014年(筆者撮影)

新旧の御所トンネルは、真田濠があったから掘られたトンネルといえる。真田濠のせいでわざわざ掘らなければならなかったという意味ではなく、徳川幕府が真田濠を造ってくれていたおかげで、短いトンネルで済むこのルートを選ぶことができたという意味である。

この点は重要なので、もう少し説明を加えたい。皇居の外側をぐるりと囲む形で外濠がめぐらされている。外濠は数百mごとに土手で区切られ、区間ごとに○○濠と名が付けられている。お濠を区切る土手は、外濠を横断する橋の役割も果たしている。

中央線は外濠に沿って建設された

細長い真田濠の北半分が四ツ谷駅、南半分が上智大学グラウンドになっている。真田濠の北隣が市谷濠である。中央線線路は、真田濠から市ケ谷駅前の市谷濠、さらにその先の濠へと御茶ノ水駅の先まで外濠に沿ってルートが取られている。

水道橋―御茶ノ水間の神田川の谷(筆者撮影)

真田濠は、外濠を構成しているお濠の中でも、江戸時代とくに建設に手間のかかった濠だった。他の外濠は自然地形の谷を利用して造られているが、真田濠(および北隣の市谷濠の半分)は標高が高い台地に位置するため、台地を深く掘り込む必要があった。そのため江戸城の内濠と外濠の中で最後に完成している濠なのである。

真田濠があったおかげで、旧御所トンネルは、丘の下を四ツ谷駅のすぐ手前まで、当初約290m掘るだけで済んだ(複複線化の際、信濃町側に27m延長している)。真田濠と市谷濠が掘られていなければ、丘は市ケ谷駅の手前まで続いているので、約1kmのトンネル(または切り通し)が必要となっていた。

当時では大変な工事となり、このルート案も頓挫していた可能性が高い。真田濠がなかったら、そこに皇室関係の施設ができていた可能性すらある。そうなっていたらさらに線路建設の困難さは増しただろう。

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