29歳のとき、母親ががんになった。手術、10カ月後に再発した。全身転移してもう助からない状態となった。そして、母親は永眠した。
「再発がわかったとき、やっぱり慰めてもらいたかったみたいだった。『がんがしんどいし、私、いずれ死ぬんや』とかいう話になったとき、私がもう『ふざけるな!』って感情的になってしまった。そこで母親が泣いた。そういうことがあった。『今まで散々人のことを苦しめてきたのに、自分がいざしんどくなったら、なんで人を頼るんだ』ということは伝えました」
辛辣な娘の言葉を聞いて、母親は泣いた。弱々しい姿だった。母親の涙を眺めても、石田さんの気持ちは冷めきっていた。なんとも思わなかった。
「今まで自分がしてきたことを棚に上げて、なにを言っているんだろうと思いました。私がいちばん苦しいとき助けてくれなかった。そういう相手に対して、なんの感情も芽生えないというか。母親が死んだときも、なんとも思わなかった。やっと死んでくれた、みたいな感じだった」
希死念慮は再発したが、なんとか生きている
そして1年前。職場でささいなミスをして上司から怒られた。
その怒声で母親の叱責がフラッシュバック、強烈な希死念慮が再発した。どうしても死にたい気持ちがおさまらなくなって、病院に駆け込んだ。即入院となった。
「入院中、作業療法というのがあるんです。手芸をやったり。入院中に仲よかった人とか、親しかった患者さんからいっぱい作品をもらった。携帯の革細工のストラップとか、組紐のやつ、ストラップとか。みんなに死なないって約束しました。だから死ぬことイコール裏切ることになるので、頑張れている感じです」
現在、貧困で苦しい生活ながら、実家と職場の行き来はできている。仕事も以前ほどのパフォーマンスは出せないが、なんとか働けている。明日もなんとか生きる。そう思いながら生きている。
今日は久しぶりに天王寺まで電車で来ることができた。死にたいとは思わなかった。少し、自信になった。
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