「母親のほうがあらゆる面で、私より能力が上でした。器用だし、物事を早くこなしたり、私は不器用で、いろいろ苦手で。だから怒鳴り声の内容は『なんでみんなできているのに、あなたはできないんだ!』みたいな。あと『よその子はできているのに、お前はなんでできてへんねん』とか。母親は私を見ていると、とにかくイライラするようでした」
中学生になってから、虐待はさらに激しくなった。毎日理不尽に怒られるようになって、自分がすべて悪いと思い込むようになった。
「どんな理不尽でも、自分が悪い。それであまりよくない方向に考えてしまう。自分がいなくなれば、すべて解決するって。母親が私が帰ってくるのが遅い、学校から帰ってくるのが遅い、というだけで怒る。学校から帰ってきた、私が悪いんだってなって。最終的にはいなくなったほうがいい、私が死ねば、ぜんぶ解決すると思い込むようになった」
自殺願望である。それまでは追い詰められて、家出など、いろいろ逃げ道を考えた。“全部自分が悪いので、自分が死ねばいい”と思い込むようになって、つねに追い詰められていたキモチがすごく楽になったという。
「母親に虐待されて、つらい。そういうときに遺書の内容はなにを書こうかとか、どんな方法で死のうかとか、そういうこと考えていると、やっぱりそのときだけ楽なんです……だから、希死念慮がどんどんひどくなった」
高校生になって声が出なくなった
最も悪化したのは、中学3年から高校にかけて。毎日、つねに死にたいと思うようになっていた。
「母親からの叱責がつらかった。誰かに助けを求めようとしても、母親から口止めされた。家の中のことを一切話すなと。だからやっぱり先生にも本当のことは話せない。今となれば、そんな約束を守る必要はなかったけど、絶対に約束を守らないといけないって外の人に相談ができなかった。なので、やっぱり思い詰めてしまった」
高校生になって声が出なくなった。失声症だ。心配する担任にいろいろ生活環境を聞かれたが、口止めする母親の顔が浮かび「母親に叱責されている」とは言えなかった。自分自身がどんどんと壊れていった。
――母親に叱責をやめさせるのは難しかったの?
石田:なかなか厳しかった。「もうそんなこと言わないで」とか言っても、母親なりの理屈で丸め込まれた。例えば父親の愚痴とか言われたとき、「もうそんな話聞きたくない」っていえば、「お前は、あの父親の血を引いている人間だから、聞く義務がある」みたいな感じになります。
――もう破綻しているね。
石田:父親に対しての愚痴とか悪口は「あいつ死ね」とか、毎日そんなレベルでした。「あいつは何もできない」とか「前代未聞の無能」とか「私の人生はこんなはずじゃなかった」とか。そういう発言が多かった。私はいちいち怖いし、嫌なキモチになる。
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