自死をしたい希死念慮とは、どういう感覚なのだろうか。石田さんにもう少し聞いてみた。
――自分なりに死に方とかいくつか思い浮かんだと思うけど、どうするのがいいかなと思っていたの? そのときは。
石田:ベストかなと思ったのは飛び降りです。とりあえず一瞬で死ねるかなという。
――どこから飛び降りるの?
石田:近場の高いところ。いちばん考えていたのが、中学校の近くに鉄道線路を越える高架道路があった。高架の頂上から線路に飛び降りたら死ぬかなとか。
――高架があって、下に鉄道が走っているところ。
石田:そうです。だから飛び降りて、列車にひかれたら死ぬかなみたいなことはいつも考えていた。飛び降りとひかれるのとダブルであるから確実性が高いかな、みたいな。そういうことはよく思っていました。
――希死念慮って怖いね。
石田:あと、中学3年とか高校のとき、あまりにつらくて首吊って死にたいなって。ぼんやりとカーテンレールとかを見つめていたら、飼っていた猫がすりすり寄ってきた。それで止められた経験があります。いつもだったら、すりすり寄ってこない猫がめっちゃすり寄ってきた。それで助かった。本当にあぶなかった。
「あんた、薬漬けにされるよ」
精神疾患を抱えて苦しい状態だった。福祉系の高校に進学した。苦しくて精神科に通うようになった。統合失調症と診断された。重い病名がついても、母親の叱責の理由となった。どうしても自分のせいで娘が壊れていることを理解しなかった。
「母親はなにかにつけて怒るようになって、精神科に対するイメージがすごく悪くて『あんた薬漬けにされるよ』とか。『薬漬けにされて、訳わからなくなるから、薬を飲むのをやめなさい』とか。娘が精神的に滅入っていることを認めたくなかった。まして、精神科に通っていること自体も認めたくなかった」
病院に通うようになってから、精神薬の副作用で疲れる。家で横になる時間が増えた。その状態になっても、母親からの叱責は続いた。
「ののしられ続けました。薬の副作用でちょっとしんどいとき、横になった。そしたら『起き上がれ!』って。『精神科に通うのは弱いやつばっかり』みたいなこと言われて、実際に精神科に行って母親からの叱責が激しくなったので、よくならなかった。そのときは自暴自棄になって、死にたいって薬を全部飲んでオーバードーズしてしまいました。今でもよく覚えているけど、本当につらかった」
大学卒業して国家資格を取得して、社会福祉法人に就職。自死念慮はずっと抱えたままで、母親からの叱責も続いた。27歳のときに家をでて市内で1人暮らしをはじめた。
「今をどう生きるかとかって、みんなたぶん思うけど。私は毎日、どう死ぬかということを思っていた。将来のことを考えても、いずれ死ぬんやろうなって。大学卒業して資格を取ったときも、いずれ死ぬんだろうから、それまで勤めておこうかなとか。そういう感じ。だから、結婚をしたいとか、そういうことが一切考えられなかった」
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