障害に負けずパラ五輪目指す27歳女性の生き方

河合紫乃「もう一度、スポーツで輝きたい」

車いすフェンシングで2020年東京パラリンピック出場を目指す河合紫乃さん(筆者撮影)

バドミントンの実業団選手だった女性が、股関節のケガを治療するために受けた手術の後遺症で障害者となった。

バドミントンの選手だったころの河合さん(本人提供)

一時は絶望したが、車いすフェンシングを始めた。1年足らずで日本代表選手となり、現在は2020年東京パラリンピックを目指している。ワールドカップ(W杯)を終えて帰国した河合紫乃さん(27)に、競技の魅力やスポーツを続ける意義について聞いた。

もともと、バドミントンの選手だった。小学生のころから競技を始め、富山商高時代は全日本ジュニアで5位に。法政大へ進学し、団体では2度「学生日本一」となった。

20代の若さで車いす生活に

卒業後、実業団の北國銀行(石川)に入り結果が出始めたころ、股関節の治療で手術を受けた。社会人2年目、2015年12月のことだった。

「両股関節が痛み、歩くことも、座っていることもできなくなりました。1年4カ月も入院し、4度も手術し、リハビリを頑張っても症状は改善されませんでした」

整形外科での治療は行き詰まり、医師らは「心因性の機能障害では?」と考え、うつ病の薬を処方した。すると河合さんは、大幅に体重が減り、心身ともに衰弱。その後、脳と脊椎の伝達系に支障をきたしているために体が動かなくなる難病であると判明した。

治療法が確立されていないため、現在も治療法を探し続けている。両下肢機能不全、左下肢不全麻痺の症状は、現在も進行しているという。

入院中、実業団チームの経営母体である企業は辞めざるをえなくなった。車いすの生活となってからはスポーツをすることを諦め、料理をしたり、アクセサリーを作ったりと、いろいろなことに取り組んだ。しかし、子どものころからバドミントン一色の生活だったことから、スポーツへの未練は断ちがたかった。

「大学時代の後輩の田中(志穂選手・北都銀行)がすごく活躍していました。そういう姿を見て、『自分も、もう1度、輝きたい。自分らしく生きるためには、一生懸命スポーツをしたい』と思いました」

次ページ彼女が「車いすフェンシング」を選んだ理由
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