田園都市線の顔、消えゆく「8500系」銀色電車 沿線の発展を見守った古参、2022年度で引退

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8500系がデビューしたのは1975年。現在は田園都市線の一部となっている二子玉川(当時は二子玉川園)―渋谷間の「新玉川線」開業と地下鉄半蔵門線への乗り入れに備え、1969年から投入していた「8000系」の設計を一部変えてつくられた。

基本的な構造は8000系を踏襲したが、外観の大きな特徴はそれまでの銀色だけのステンレス車両と異なり、正面に赤い帯が入ったこと。東急といえば銀色の車体に赤ラインというイメージを生んだ最初の車両だ。

当時の田園都市線は、すずかけ台―二子玉川園―大井町間。新玉川線が開業する前は、二子玉川園から現在の大井町線に入るルートが「田園都市線」を名乗っていた。新玉川線は1977年4月に開業。2年後の1979年8月からは田園都市線の全列車が直通するようになり、多摩田園都市と渋谷、そして半蔵門線沿線が1本で結ばれた。

都心部への直結により、田園都市線沿線はますます発展していく。郊外側も、1976年にすずかけ台からつきみ野まで、そして1984年には現在の終点である中央林間まで延伸開業。沿線がドラマの舞台として脚光を浴びたのもこの頃だ。

田園都市線発展の立役者

8500系の歩みは、人気路線として急成長を遂げていった田園都市線の歴史と重なっている。今では同線用の車両はすべて10両編成だが、1975年の登場時はなんと4両編成。新玉川線も当初は6両編成だった。8両編成がお目見えしたのは、田園都市線の全列車が渋谷方面直通になった1979年。急行列車の運転が1983年に始まると、ついに10両編成が登場した。

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