8500系がデビューしたのは1975年。現在は田園都市線の一部となっている二子玉川(当時は二子玉川園)―渋谷間の「新玉川線」開業と地下鉄半蔵門線への乗り入れに備え、1969年から投入していた「8000系」の設計を一部変えてつくられた。
基本的な構造は8000系を踏襲したが、外観の大きな特徴はそれまでの銀色だけのステンレス車両と異なり、正面に赤い帯が入ったこと。東急といえば銀色の車体に赤ラインというイメージを生んだ最初の車両だ。
当時の田園都市線は、すずかけ台―二子玉川園―大井町間。新玉川線が開業する前は、二子玉川園から現在の大井町線に入るルートが「田園都市線」を名乗っていた。新玉川線は1977年4月に開業。2年後の1979年8月からは田園都市線の全列車が直通するようになり、多摩田園都市と渋谷、そして半蔵門線沿線が1本で結ばれた。
都心部への直結により、田園都市線沿線はますます発展していく。郊外側も、1976年にすずかけ台からつきみ野まで、そして1984年には現在の終点である中央林間まで延伸開業。沿線がドラマの舞台として脚光を浴びたのもこの頃だ。
田園都市線発展の立役者
8500系の歩みは、人気路線として急成長を遂げていった田園都市線の歴史と重なっている。今では同線用の車両はすべて10両編成だが、1975年の登場時はなんと4両編成。新玉川線も当初は6両編成だった。8両編成がお目見えしたのは、田園都市線の全列車が渋谷方面直通になった1979年。急行列車の運転が1983年に始まると、ついに10両編成が登場した。
東急電鉄8500系
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8500系の先頭車。8606号は登場時の姿を残す車両だ
(記者撮影)
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行先表示がLED化され、車体下にスカートが付く8626
現在はこちらが標準的な形だ(記者撮影)
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8626号は渋谷寄りの1号車。1976年製だ
(記者撮影)
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8626の車内。座席や壁はリニューアルしている
(記者撮影)
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リニューアルで座席は1人ずつ区分された形になった
(記者撮影)
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昭和51(1976)年製。今年で44歳だ
(記者撮影)
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「8626」編成の2号車8732。10両編成の中で
3両だけの「生え抜き」の1両だ(記者撮影)
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2号車の1号車寄りにある扉。10両のうち3カ所に
中間の扉がある(記者撮影)
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今は網状の荷棚は、かつては塩ビパイプだった。
サイドに残る穴はその名残だ(記者撮影)
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3号車8946。1981年製だ
(記者撮影)
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3号車の車イススペース。リニューアルの際に設置した
(記者撮影)
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4号車8861。1982年製で「軽量車体」のため
屋根の形が若干違う(記者撮影)
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比較的新しい4号車は座席などをリニューアルせず
原型に近い姿を留める(記者)
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この車両は当初から荷棚が網状だったため
パイプを通す穴はない(記者撮影)
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4号車の座席。端の仕切りは金属の棒だ
(記者撮影)
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座席端の仕切りは別タイプもある。初期の車両は
ドア横のスペースが狭かった(記者撮影)
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5号車8759。4号車と同時にこの編成に
連結された車両だ(記者撮影)
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8500系の車内で目立つ扇風機
(記者撮影)
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6号車8843。「軽量車体」タイプの中でも屋根の
一部がステンレス地の「レア車両」だ(記者撮影)
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右が6号車の8843。隣の車両と比べると、屋根の
銀色の部分の広さが違う(記者撮影)
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7号車0709。10両のうちで一番新しい1987年製
(記者撮影)
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0から始まる車番は、車両数が増えたために登場した
(記者撮影)
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8号車8922。1979年製だ
(記者撮影)
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9号車8870。1982年製の「軽量車体」タイプだ
(記者撮影)
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9号車の連結部分の扉は後から取り付けた
(記者撮影)
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10号車8526。1号車・2号車と同じ1976年製だ
(記者撮影)
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8500系の運転室
(記者撮影)
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運転台の機器類
(記者撮影)
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8500系は1976年に「鉄道友の会」の
「ローレル賞」を受賞した(記者撮影)
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赤いシートにリニューアルした車両もある
(記者撮影)
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赤いシートにリニューアルした車両もある
(記者撮影)
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床下に並ぶ「抵抗器」
(記者撮影)
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8500系の台車
(記者撮影)
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後期の車両は台車の形がやや異なる
(記者撮影)
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「コルゲート」がギラリと光る側面
(記者撮影)
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5000系(右から2番目)と顔を並べる8500系
(記者撮影)
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最新鋭の2020系(右)と並ぶ8500系
(記者撮影)
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8500系は2022年度までに姿を消す予定だ
(記者撮影)
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