バウマンは、「ここで言う身体とは、そのあらゆる延長や前線の塹壕――家庭、財産、近隣など――を含んでいる」と述べ、「そのように広義の身体の保全に努めるにつけ、わたしたちは、周囲の他者、とりわけそのなかのよそ者、すなわち予想不可能な物事の運搬者にして具現者である人々に対して、ますます疑いの目を向けるようになる」という。
バウマンは、「名付けることができない脅威について心配することは難しい」が、「その矛先を安全上の懸念に振り向けること」によって「ありありと目に見えるものになる」という。それが「よそ者の存在」である。
中国人が「危険の化身」となってしまった
このような心理的なメカニズムを今回の騒動に当てはめると、新型コロナウイルスという脅威があらゆるメディアを通じて喧伝された結果、「身体の保全」に関する極めて重大な事件と認識され、中国人が「危険の化身」として浮かび上がったといえる。
この場合、観光客として訪れている中国人と、現地で暮らしている中国人の差異は突如として消え失せ、その姿・言語・立ち振る舞いなどによって瞬時に境界線が引かれることとなる。それが日本においては、外国人のうちの「中国人」を差別する形で表れ、外国においては「中国人を含むアジア系全体」を差別する形で表れているのだ。
これは欧米において、わたしたちが考えているよりも「アジア系」が見た目で一括りされている事実とも符合する。前出の「アジア系住民全員が保菌者」として扱われる事態は、「正確に位置を示すことも名付けることも難しい恐怖」を、特定の集団からもたらされたものとして受け取ることを意味しているのだ。これは前述した通り究極的には誰もが「危険の化身」になりうる。
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