子供の頃教わらなかった大人の世界の民主主義 多数決を機能させる「多様な意見の仕分け方」

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視界の広さは、時間的なものだけを意味するのではない。

世の中には、「合成の誤謬」という問題がある。個々のミクロ的には合理性を持った判断なのであるが、これを合成したマクロで見ると誤謬に陥るという問題である。

社会政策論の中でかつて、大河内一男先生(経済学者、1905~1984年)が唱えられた大河内理論なるものがあった。それは、個別資本の自由にまかせると労働力は虐使・濫用され、労働力の再生産は難しくなるから、持続可能性を考えることができる総資本の立場から労働力の保護を行うべきであり、社会政策の本質はこの総資本の立場からの労働力保全にあるとした考え方だ。

大河内理論は、まさに公共政策を「合成の誤謬」を解決する手段として位置づける好例だが、実際のところ、公共政策の目的のほとんどは、「合成の誤謬」の解決なのである。

モデルの横軸の「社会・制度の持続可能性への視界」は、この「合成の誤謬」の問題を考慮しているか否かも含める。もちろん、この問題を考慮しているほど、視界は広い。

さて、もう一度、モデルを見てみよう。ここでは横軸を右に行くほど、短期的・ミクロ的な事象のみならず、長期的・マクロ的な視点をも持って世の中の善し悪しを判断している人たちが位置づけられることになる。

大人の民主主義におけるプレーヤーたち

このように2つの軸をとった平面上において、まずは、民主主義社会の理念型を考えながら、この社会に登場するプレーヤーたちの位置を考えてみよう。ここでいう理念型とは、現実型ではなく本質的要素だけを抽出して作ったモデルであって、現実への理解を明確にするために作る抽象的な世界である。

まず社会・制度の持続可能性をしっかりと考え、かつ公共政策に詳しいことを期待されている第1象限に位置する人たち――あくまでも期待されている人たちであり現実にそうだというわけではない――は、政治的関心層として、官僚や、学者・メディア、そして評論家などがあげられる。

もちろん、多々、そうした役割が果たされていないところがあるのは、周知の事実ではあるが、基本的には民主主義の中では、そうした役割が政治的関心層に期待されている。ゆえに、そこから逸脱する現実があれば、人々に違和感、不快感を与え、それ自体がニュース性を持つ。

2015年後半、新聞の定期購読への消費税の軽減税率導入を求めて大キャンペーンを張った新聞業界は、当時、明らかに第1象限を離れて(後述する第2象限にいた)、社会・制度の持続性可能性の足を引っ張った。それゆえに多くの人たちは、この業界に、今に続く不信感を抱くことになっていった。ただ逆に言えば、理念型としては、メディアは第1象限に位置するものなのであろう。

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