コービー・ブライアントの少し複雑な「栄光」 ジョーダン超えを本気で目指した男の光と影

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ブライアントがまだ10代の頃、得点を重ねていくブライアントを見て、オニールはブライアントに「ショーボート(目立ちたがり屋)」のニックネームをつけた。オニールだけでなく、レイカーズのベテラン勢は、この新人の野望を抑えようとした。なかでもオニールは、自分がチームの真のボスであることを示し続けた。

だが、ブライアントが抑え込まれることはなかった。チームに入って4年目のシーズンには、新コーチのフィル・ジャクソンの指導のもと、ブライアントはオニールと強力なパートナーシップを組むようになり、その力も飛躍した。

ブライアントの最初の2年間と3年目のスタートの時期にコーチを務めていたデル・ハリスは、「コービーは夜の街なんかには興味はなかった」と、2017年12月にニューヨーク・タイムズ紙に語っている。「コービーの関心事はただ1つだけだった。できる限り最高のプレイヤーになること。それはつまり、マイケル・ジョーダンに匹敵するようなプレイをすることだった」

ヘリコプターは家庭での時間を増やすため

「どこまでマイケル・ジョーダンに迫ったかは、いろいろな見方があるだろう。だが、コービーが夢をほとんど全部かなえたことは、間違いない」とハリスは言う。2006年1月には、トロント・ラプターズを相手に1試合で81得点をあげ、1試合での得点としてはNBA歴代2位となった。

ただし、ブライアントの輝かしい経歴の中には複雑な部分もある。2003年に性的暴行の容疑で告訴されたことだ。コロラド州のホテルで、フロント係だった19歳の女性をレイプしたとの疑いだった。やがて検察側は、その女性が証言を嫌がったことから訴えを取り下げた。その後ブライアントは、関係は合意のもとだと思っていたとして謝罪を発表。女性による告訴は示談による解決となった。

「ショーボート」と呼ばれた日々から長い時間がたち、キャリアも終盤になった頃、ブライアントは自分に「ブラック・マンバ(大型の毒ヘビ)」や「ビノ(ワイン)」などのニックネームをつけた。

ロサンゼルスにあるステイプルズ・センターでの試合に参加するために、ブライアントはよくヘリコプターを使っていたが、それは交通渋滞を避け、家庭での時間を増やすためだったという。

(執筆:Marc Stein記者、翻訳:東方雅美)
© 2020 The New York Times Company

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