コービー・ブライアントの少し複雑な「栄光」 ジョーダン超えを本気で目指した男の光と影

ロサンゼルス・レイカーズで活躍した元バスケットボール選手、コービー・ブライアントが、1月26日にロサンゼルス北部で起きたヘリコプターの墜落事故で死亡した。41歳だった。事故の犠牲者はブライアントを含む乗客・乗員9名。ブライアントは高校卒業後すぐにプロ入りし、20年間レイカーズで輝かしい道のりを歩んできた。
事故では、娘で13歳のジャンナも亡くなった。コービー・ブライアントには妻のバネッサとの間に4人の娘がおり、ジャンナは上から2番目。2人は家族の住まいがあるカリフォルニア州オレンジ郡から、ロサンゼルスの北西約48キロメートルのサウザンド・オークスに向かっているところだった。
ジャンナもバスケットボールのスター選手として開花しつつあり、その日の午後の試合に参加を予定していた。ジャンナのチームはコービー・ブライアントのマンバ・スポーツ・アカデミーに所属しており、コービーがコーチを務めていた。
ブライアントの数々の実績
コービー・ブライアント死亡のニュースは、当然のことながらNBAを揺るがした。NBA選手の多くがブライアントを見て育ったからだ。彼らは、ブライアントが在籍したレイカーズがNBAで5回優勝し、ブライアントが1試合で81得点をあげるのを見てきた。
ブライアントは17歳でNBAに加わってすぐに、大きな存在感を示した。その後20シーズンの間に、オールスターゲームのメンバーに18回選ばれ、2008年にはレギュラーシーズンの最優秀選手に、ファイナルの最優秀選手には2回選ばれた。
こうした実績をあげる中で、2003年には性的暴行で告訴され、世間のブライアントに対する見方も変わった。それでも、ブライアントはNBAファンの間で抜群の人気を誇った。なかでも、ブライアントが20年間レイカーズでプレイし続けて、ほぼレイカーズと同義語のようになっていったことから、ロサンゼルスの人たちにはとくに人気があった。