ところが、このような体制整備に厚労省は後ろ向きだ。新型インフルエンザ感染では、厚労省傘下の国立感染症研究所が取り仕切った。
宮城県保健環境センターの佐藤由紀氏らは、2010年の「宮城県保健環境センター年報」の中で、「感染研への検体輸送体制など多方面準備に追われた」と書いている。多忙な最前線の医療関係者が、研究機関に検体を送るのに「追われる」とは本末転倒だ。
専門家の中には、後日、保存された血清などを用いて、疫学的な調査をすればいいという人もいるが、これでは患者が置き去りだ。医療機関を受診する患者の中には「新型ウイルスにかかっているのではないか」と悩む人もいるだろう。彼らの不安にまったく対応していない。
最優先すべきは公衆衛生ではない
新型ウイルス対策で最優先すべきは公衆衛生ではない。国民の健康や不安に地道に向き合うことだ。
私たちのグループは、東日本大震災以降、被災地で診療や被曝対策を続けているが、状況はそっくりだ。
福島第一原発事故後、政府や著名な研究者が「被曝は問題とならないレベル」と繰り返し、診療や相談ではなく、「県民健康調査」などの「研究」事業を立ち上げていった。そして、住民の信頼を失っていった。
住民が求めたのは、自分のデータであり、一般論ではない。自らが被曝しているか否かだ。内部被曝検査を開始し、自分が内部被曝していないことを確認して、初めて安心した人が多い。
日本の新型ウイルス対策には、この手の施策が多い。過去の経験を生かしていないものもある。その象徴が空港検疫だ。厚労省は新型ウイルスの流入を水際で食い止めるといい、メディアもこの方針に疑問を呈さない。
数カ月間かけて世界を旅する大航海時代ならいざ知らず、現在、こんなことは不可能だ。日本と中国は飛行機でわずか数時間の距離で、潜伏期間の患者はどんな方法を使っても食い止められない。
2009年の新型インフルエンザ流行でも、空港検疫で感染者を1人見つけるのに、14人の感染者を見逃していたと推計されている。東京大学医科学研究所の井元清哉教授らの研究だ。
水際対策とは、国家が感染者を見つけて隔離するという前近代的な発想に立った施策だ。感染しても多くは軽症で済むなら、「隠そう」とする人もいるだろう。
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