「外国人最年少」でミシュランを取った男の素顔 料理人・松嶋啓介とはいったいどんな人物か

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今や料理の世界を飛び越えて多方面でその名をとどろかせる松嶋さんだが、元来は決して人並み外れた才能の持ち主ではなかった。

「子どもの頃は、勉強も運動も人並み外れているどころか、人並みですらありませんでした。高校のときはサッカー部に所属していましたが、はっきり言って自分が一番下手。だから、下手なりに人がいないところを探して積極的に顔を出そうとしていたように思います。

自分でお店を持つようになってからも、皆がやっているのと同じことをやっていては意味がない。だから、『人がやっていないことをどうやれば楽にできるか』と、ずっと考えて実践してきました」

つねに、まだ誰も足跡をつけていない空白のスペースを見つけて一歩踏み出し、その存在価値を遺憾なく発揮してきた松嶋さんは続ける。

「競争なんてする必要がありません。ミシュランを獲ったときも、競争したわけではありません。当時は日本人が誰もフランスに店を出していなかった。誰もやってないことに挑戦して、僕でもできるんだから、みんなもやればできるんだよというのを見せたかっただけです。ちなみに、ミシュランを獲ってから一時期競争に陥っている自分がいました。でも、まんまと人と同じ土俵で勝負してしまっていて、今思えばしくじったなぁと思います(笑)」

人と違うからこそ、価値がある

かつての日本は、大量生産・大量販売を推し進める過程で、効率よく再現性の高い仕事ができる人材を求め、受験、就職に代表されるさまざまな場面で競争が強いられてきた。しかし、努力とは人と同じものさしで計られながら誰かに勝つために競い合うことではなく、頑張らなくても自分の価値を発揮できる方法を考えて行動することだと、松嶋さんは教えてくれたように思う。

もともと人と同じことをするのが嫌いだった松嶋さんだが、社会に出てからよりいっそうその思いを強めていく。

日本での修行は1年半そこそこにフランス社会へ飛び込んだ(撮影:梅谷秀司)

「料理の専門学校を出てからは、将来現地で働くための準備としてフランスでの修業歴の長いシェフのもとで働きたいと考えました。

そこで、当時渋谷にあったレストラン「ヴァンセーヌ」の酒井一之氏のもとを訪ねたのですが、実際に師匠の仕事への取り組み方や仕事の内容から『人と同じことをするな』『何か自分の武器を持ちなさい』ということを教えてもらったように思います」

そうは言っても、その頃の日本の料理修行においては、まだ縦社会で理不尽なことも多かった。自主的に仕込みを手伝って厨房に入ることはできても、なかなか料理をさせてもらえず、日本での修行は1年半そこそこに松嶋さんは意を決してフランス社会に飛び込んだ。

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